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ぬれうさぎの夜



1.ぬれうさぎ

 

レジェンドさんの記録映画を見ながらちびちびとブランデーを舐める。

こないだバニーが置いてってくれたかなり上等の酒だ。

スポンサーから貰ったんだけどあまり好きじゃないから虎徹さんどうですかって。

俺は酒なら旨けりゃ種類は何でもこいだ。

香りがいいよな、これ。

あー、やっぱカッコいいわレジェンドさん。

そんな感じで俺はまったりと一人の夜を満喫していた。

最近はバニーと過ごすことが多いから、こんな過ごし方はすごく久しぶりだ。

バニーは今夜は何かスポンサーとの会食があるとかで夕方会社で別れた。

今ごろお偉いさんに愛想振りまいてぐったりしてんだろうなあ。

外は結構な大雨が降ってるようで、どこか遠くから雷の音も聞こえる。

うわ、あいつ傘持ってなかったんじゃないか?

飲まされるから車では行ってないはずだし。

って、タクシー使うか。

そんなことを考えていた時、玄関でインターフォンがなった。

誰だこんな時間に、もう十一時半だぞ。

俺が首を捻っているとまたインターフォンがなった。

「はいはい、どちらさまー?

俺がめんどくささを隠そうともせずにドアを開けるとそこに居たのは…。

 

「虎徹さん…。」

さっきから降り出した雨で頭からずぶ濡れになったバニーだった。

「ちょ…お前どうしたんだよその格好!!

顔から襟元から水滴が滴り落ち石造りのアプローチに黒い染みを作る。

上質のスーツが水を吸ってすっかり形が変わっている。

「すみません…こんな時間に…。」

髪の先から雫を滴らせながらバニーがらしくもない弱い声で言った。

水も滴るいい男っていうけど、これは違うだろ。

どっちかっていうと雨にぬれた捨て犬みたいな雰囲気だ。

こんなの普通じゃない。

何があったっていうんだ一体。

俺が呆然とバニーを見ていると、バニーは震える声で言った。

「大変なことが…他に…話せる人がいなくて…。」

?

何をだ!?

いやそんなの後だ!!

「そんなことより早く中入れ。風邪引いちまうぞ!!

肩を抱いて中に入れ、とりあえず濡れた上着を脱がせた。

見て分かるくらい体ががたがたと震えている。

すぐに風呂に入らせた方がいいか?

いやもしかしてとも思って額に触れると案の定、少し熱い。

「ちょっとそこで待ってろ、タオル取ってくるから。」

俺はバニーを玄関で待たせるとタオルを取りに走った。

「なんでタクシー使わなかったんだよ。どこから歩いてきたんだ。」

俺は頭から大きなバスタオルを被せがしがしと拭いた。

「会席のあったホテルから…直接…。」

ば…ばか!!

それゴールドだろうが!!

一体何時間かけてここまで来たんだ!!

「車じゃ…おってが…。」

…尋常じゃない。

何があったのかと問いただしたい気持ちを必死で抑え、

俺は先にバニーを落ち着かせることにした。

とにかく服を着替えさせて冷え切った体を温めないと。

ああ、風呂はダメだ。

発熱し始めてるから体力を消耗しちまう。

水気を拭いてベッドで休ませて。

ああ、ミルク温めてさっきのブランデーちょっと垂らすか。

俺はとりあえずバニーに洗ってあるスウェットの上下を渡した。

「バニー、これ着て濡れた服はバスルームに吊っとけ。」

クリーニングに出せば皺なんてどうとでもなるだろう。

バニーはタオルを頭からかぶったまま俯いている。

「バニー?

「虎徹さん…。僕…。」

紫色の震える唇が何か言おうとするのを俺はそっと手で制した。

「話はあとで聞くから先に着替えて温まれ。熱出始めてるぞ。」

こいつは平熱低いから、7度程度の微熱でも結構堪えるはずだ。

「あっちまで歩けるな?ほら、掴っていいから。」

バニーは小さく頷くと素直に俺に掴り、

頼りない足取りでリビングのソファに向かった。

 

バニーが着替えている間に

俺は納戸から季節外れの毛布と温風ヒーターを引っ張り出してきた。

上掛けをもう薄ものにしてしまったベッドより

こっちの方が体温を取り戻せるかなと思って。

リビングのソファに横にならせ、バニーの身体を温めている間に

俺はホットミルクを小鍋で温めた。

砂糖とブランデーを少し垂らして体温と体力を回復させないとな。

「バニー、起きられるか?これ飲んだら少しは落ち着くから。」

クッションに頭を預け横たわっていたバニーがのろのろと起き上る。

熱が上がってるんじゃないかと思うような緩慢な仕草に

俺は心配になって額に触れた。

バニーにマグカップを渡すと、俺はバニーの隣に腰を下ろした。

「…美味しい…です…。」

ふうっと安心したような息を吐いてバニーがやっと少しだけ笑った。

 

「一体何があったんだ?

タイミングを見計らって俺が訊ねると、バニーは薄い唇を震わせた。

「ウロボロスが…。」

俺は驚きで声が出なかった。

今更どうしてその名前が…。

「接触したのか?お前、大丈夫か!?何かされなかったか!?

いろんなことを矢継ぎ早に聞くと、

バニーは困ったような顔で首を横に振った。

それは『何かされなかったか?』に対してのNOで良いのか?

バニーはゆっくりと事の経緯を話し始めた。

 

 

今日は以前から僕を支援してくれていたスポンサーとの会席でした。

そこのCEOはマーべリックとは旧知の間柄で

僕の父とも昔から親交があったとかで、よくしていただいてたんです。

マーべリックスキャンダルの後、他のスポンサーが一斉に掌を返す中、

彼だけは僕を心配してくれていました。

だから、まさか…。

まさかあの人がウロボロスだったなんて…。

彼は僕に言いました。

秘密裏にウロボロスの傘下に入れと。

そしてその上でヒーロー活動を続けろと…。

CEOの後ろから、エージェントのような黒服が拳銃を持って入ってきて…。

僕に銃口を…。

 

そこまで言ってバニーは拳を震わせた。

俺はその手をそっと握った。

「それで?断ったお前に奴らはどうしたんだ?

バニーは思い出すのもおぞましいというように顔を顰めた。

「連中は僕が従わないと知るや、アポロンや虎徹さんの名前を出して…。」

ああ、俺あの事件で顔どころか住所までばれちまってるからなあ。

「みんなに迷惑をかけたくなかったら蛇の刻印を受け入れろって…。」

バニーの声が時々詰まる。

そんな無理難題を強いられたバニーの胸の内を思うと、

そのCEOをぶん殴ってやりたい。

「辛かったな…。暴力は?怪我はしていないな?

俺が確かめるように身体をそっとさすると、バニーは小さく頷いた。

その後、途切れ途切れの話を辛抱強く聞いた内容はこうだった。

バニーはこれ以上は危険だと判断、

能力を発動してそのホテルの窓をぶち割り外に出た。

そしてそのまま近くのステージの切れ目から下へ下へと飛び降りた。

ブロンズに降り立った時点で能力が切れ、

バニーは連中の追跡を振り切ってどうにかこうにか家に逃げてきたと。

 

「ここに来たら貴方を巻き込んでしまうかもしれない。だから迷ったんですが…。」

俺はバニーを抱きしめた。

「ばっか、水臭いこと言ってんじゃねえよ。」

どの道連中は俺を巻き込む気だ。

だったら最初から知ってりゃ迎撃する態勢もできるってもんだ。

「お前が一人で苦しんで連中の手に落ちる方がぞっとするよ。」

バニーは俺の眼を見てふっと笑った。

「それも…一瞬考えました。」

な…!!

絶句した俺にバニーは聞いてくださいと穏やかに微笑んだ。

 

でも、20年も蛇を憎み続けた僕には今更できない選択でした。

父と母を殺したのはマーべリックだった。

あいつはウロボロスと繋がっていたけれど、両親の死は連中の意思ではなかった。

それでも、僕にとってはやはり忌むべき存在です。

すぐに逃げずにギリギリまで連中と接触したのは

何か情報を掴んだ方がいいというヒーローとしての判断…というか欲でした。

今後の犯罪活動を抑止するためにと…でも…。

 

そこまで言ってバニーは疲れ切った顔を伏せた。

「バニー、話はよく分かった。けど今日はもう休め。」

俺はバニーをソファに横たえた。

「明日の朝ロイズさんに相談してみよう。あとペトロフ管理官にも。」

これはもう俺たち二人で抱え込めることじゃない。

「でもそれでは非NEXTのお二人に危険が…。」

「二人ともヒーローに関わる要職についてるんだ。ヤバいことには慣れてるさ。」

報連相の原則から言えば今から連絡しておいた方がいいかもしれない。

俺はとりあえず二人に概要をメールした。

そのうえで明日御相談したいと。

バニーは重い溜め息をついた。

「どうして今ごろになって僕を…。」

そう言われてみれば確かにそうだ。

マーべリックが生きていた時は出来なかったって事か?

つまりあの男はバニーがあちら側に行くことを望んでいなかった。

「むしろ今だから…ってことかもしれないな。」

これは俺の推測だが…。

そのCEOとやらはウロボロスの幹部とまでは言えないのではないか。

どちらかというとバニーを闇落ちさせて

組織に生け贄を献上することで地位をあげようとする小物臭さを感じる。

俺がそう言うとバニーは疲れた頭で無理に考えようとしたようだったが…。

「ダメだ…思考がまとまらない…。」

「当たり前だろ。お前は今はとにかく…。」

そう言った時だった。

 

ガシャンガシャンガシャン・・・

 

何か重いものが道を進んでくる異音がした。

音は次第にこちらへ向かってくるようだ。

この音、前に聞いたことがある。

まさか…。

俺たちは視線を交しあった。

 

ズダダダダダダアアア……ンン!!!!!!!!!!!

 

その時アパートの扉が火を噴いた。

激しく連射される銃声とともに。

 

続く