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パンデミック

 

1.感染

 

ごほっ、げほっ・・・

口を手で押さえもせずに咳をするその外国人旅行客に

混雑するモノレールの乗客はみな顔を顰めた。

げほっ、がっ、ごほごほっ!!

近くにいる若い母親は子供を旅行客から遠ざけようとした。

露骨にいやな顔をして、人を押しのけてでも場所を変えようとする老人。

側にいるOLたちも口にハンカチを当て、聞えよがしの話で彼を非難する。

だがなおも放たれ続ける枯れた咳に業を煮やした者もいた。

「おいオッサン!咳するなら口に手ぐらい当てろよ!マナーだろ!!

隣にいた派手なシャツを着た若者がその旅行客の胸倉を掴んだ。

やり方はともかく、皆が言えなかったことを代弁してくれた若者に

同調するように周りからそうだそうだの声が上がる。

「クルシイ・・・。」

旅行客は訴えたがあいにくその言語を理解する者は周りにいなかった。

「おい聞いてんのか!この外人!!

苛立ちを募らせた若者が旅行客に怒鳴った時だった。

ゲホッ!!

旅行客は突如その場に喀血してずるりと倒れた。

「え?おい、大丈夫かオッサン!!

さっきまで罵声をあげていた若者が驚いて倒れ伏す旅行客を見た。

目を剥き口から泡を吹き、全身が激しく痙攣している。

一見すると、てんかんのようにもみえるが、

咳をするたび噴きあがる紅い飛沫がその可能性を否定する。

「ウ・・グ・・・。」

短い呻き声をあげ、旅行客はそれきり動かなくなった。

「うわああっ!!

「きゃあああ!!

「おい誰か救急車!!

上がる悲鳴、逃げようとする人々、救急車を要請する声。

満員のモノレール車内が騒然となったが、それはほんの序章に過ぎなかった。

この後に起こるシュテルンビルト史上最悪の新病蔓延―パンデミックの。

 

 

「おい、バニーあれ!!

その日オフィスワークを終え退勤しようとした虎徹は

やや先を歩いていたバーナビーの袖を掴みモニターの一つを指した。

エントランスホールに据えられた幾つものモニターにはどれも同じ報道。

「隔離病棟から感染患者が脱走!?

画面を見上げたバーナビーが驚愕の声をあげた。

「これ、昨日のパンで何とかの患者だろ!?すげえ致死率とかいう…。」

虎徹はニュースで流れる病院の光景に眉を潜めた。

「パンデミック…爆発的感染です。このままでは大変なことに…。」

バーナビーはふと予感してPDAを見た。

すると案の定鳴り響くアラート音。

正体を周囲に秘匿する虎徹に

退勤する社員で混雑するここで出動要請を聞かせるわけにはいかない。

バーナビーは虎徹の腕を掴み人気のない通路へ駆け込んだ。

 

―ボンジュール!ヒーロー!!事件発生よ。

「感染患者の脱走事件ですね。」

バーナビーは間髪いれずに訊ねた。

PDA画面の向こうでアニエスの細い顎が縦に揺れた。

 

逃げ出したのはシュテルンビルト中央病院の隔離病棟に収容されてた患者4名。

成人男性が二人と成人女性が一人、10歳くらいの子供が一人。

どうも密入国者が強制送還されると思って逃げたみたい。

でもそれはどうでもいいの。

密入国も犯罪には違いないけど、そこは入国管理局の仕事だから。

問題は、その4人がとんでもない致死性の未確認感染症に罹っていること。

致死率はほぼ100%。

空気感染するけど、一番悪いのは血液交じりの咳を間近で浴びることだそうよ。

間近で患者の血液を浴びた人が既に何人か亡くなってるわ。

ぱっと見の症状はてんかんみたいだけど、実態はエボラ出血熱に限りなく近い。

感染患者が街中で咳をしただけで何十人もの人にうつるわ。

貴方たちの使命はこの4人を保護し、速やかに身柄を病院に送ること。

 

「おい待てよアニエス。その場合俺たちが感染する可能性は?

虎徹は険しい表情でアニエスに訊ねた。

「市民の安全のためだ。もちろん患者の保護はするが、無謀な突撃はごめんだぞ。」

いつもなら無謀な突撃を一番恐れない虎徹が真剣な表情で言ったので

アニエスもぐっと言葉を呑みこんだ。

「貴方達が危険なのは分かってるわ。でも…。」

「やらないと言ってるわけじゃない、よく聞け。」

バーナビーも普段と様子の違う虎徹に真剣なまなざしを向けた。

「アニエス、緊急事態とはいえお前は焦りすぎだ。」

虎徹はいつになく厳しい眼でPDA越しにアニエスを見据えた。

 

良いか?

まずこの招集は一斉回線だな?

つまりお前は顔がむき出しの女子部に致死性の感染患者と接触しろと言ってるんだ。

ことが急を要するのは分かるが、やみくもに捕まえてこいなんて乱暴すぎるだろ。

全員集めてまともな対策を立ててから事に当たらないと

ミイラ取りがミイラになるぞ。

だいたいみんなこの話をどこで聞いてるか知らないが、

うっかりその辺のもんに聞かれてみろ。

パニック暴動だって起きかねない。

とりあえず全員をトレセンに集めろ。

話はそれからだ。

 

アニエスは虎徹の話に困ったように眉を顰めていたがやがて頷いた。

「タイガーの話も一理あるわね。みんな、大至急トレセン待機室に来て頂戴。」

 

「行きましょう虎徹さん!

「いや、スーツ着てから行こう。生身で追っかけるわけにはいかねえからな。」

二人はラボに寄るとスーツを身に纏い

Wチェイサーを駆ってトレーニングセンターに急いだ。

バーナビーはバイクを運転しながら横目で物言わぬ相棒を窺い見た。

<虎徹さんはもしかして…。>

だがそのことを聞いたところで現状に何か役に立つとも思えない。

「虎徹さん、とばしますのでしっかり掴っててくださいよ。」

バーナビーは返事も待たずバイクのスロットルを全開にした。

センターに着くともう数名がアンダースーツ姿で待機室に集まっている。

「遅くなりました。」

「おう、虎徹、バーナビー。大変なことになったな。」

「一刻も早く患者を連れ戻さなければ…。」

その時バタバタと慌ただしい音がして、まだ制服姿のカリーナと

会社から急きょ駆け付けたネイサンも室内に駆け込んできた。

「ごめんお待たせ!!

「みんな揃ったな。」

虎徹は一同を見回し、アニエスをPDAで呼び出した。

―改めて状況を説明するわ。

アニエスの声に皆が固唾を呑んだ。

 

脱走中の感染患者のデータが病院から来たわ。

皆のPDAに顔写真を送るから後で見ておいて。

4人は家族で、仕事を求めてシュテルンビルトに来たようね。

病院関係者の話によると英語はできないそうよ。

あまり教育水準は高くないみたい。

中国系だからドラゴンキッドなら多少は話が通じるかもしれないけど

田舎の貧困農民じゃ訛りもきついでしょうし、難しいところね。

おそらくシュテルンビルト港方面に逃げたんじゃないかという話もあるわ。

来た時も積み荷に隠れて密入国したそうだから。

で、作戦だけど…。

正直前例のない事でどう手をつけていいものか。

 

「さっきも言ったが、女は後方支援を。直接接触するのはフルアーマー組がやるべきだ。」

虎徹は決然とした面持ちで言った。

「俺は女房を病気で亡くしてる。市民もだが、仲間の家族にも同じ思いはさせたくない。」

やはり頑なな態度の根拠はそこかとバーナビーは一度瞑目した。

「僕が患者との接触を受け持ちます。」

全員が驚きの眼でバーナビーを見つめた。

「家族ひとまとまりで逃げているなら、追う側もギリギリまで一人で良いでしょう。」

バーナビーは周囲を見回した。

「むろん、皆さんには別の事をしていただきます。」

 

スカイハイさんは病院側から港側に向かって風を送ってください。

飛沫感染するなら、人がいない方向へ菌を流すんです。

市当局にはそれより風上に住民を避難させてもらいましょう。

ファイアーエンブレムさんは感染患者の接触したもの、

あるいは…ご遺体をその炎で燃やしていただきたい。

宗教上の制約がある方もいるかもしれないが、生きている者の安全が先だ。

貴女の熱に耐える菌やウイルスなどいないでしょう。

ブルーローズさんとドラゴンキッドさんは、

病院で防護服を着た状態で患者さんたちを慰問してください。

ストレスから脱走する者がこれ以上出ないように。

お二人の歌と笑顔は隔離患者の心を慰めてくれるはずです。

折紙先輩は無機物に擬態したうえで伝令役をお願いします。

もちろん、空気感染しないようにスーツは着ておいてくださいね。

虎徹さんとロックバイソンさんは、市内の道路封鎖をして

逃走患者の移動経路を限定してください。

その限定された経路を僕が追います。

 

「ふむ…。趣旨はよく分かったが…バーナビー君。」

「なんでしょう?どこか穴がありましたか?

バーナビーは首を傾げ皆を見回した。

「なんであんただけがそんな危険な任務に就くのよ!!

ブルーローズは甲高い声をあげた。

「そうだよ!ボクたちだけ安全なとこなんてできないよ!!

バーナビーは首を振った。

「確かに追跡が一番感染する可能性の高い危険な位置です。」

「そうよ!だからって一人に押し付けるなんて…。」

ブルーローズは顔を顰め、ドラゴンキッドは泣きそうな顔をしている。

ああ、ポイント目的とはもはや思われてないのだなとバーナビーは笑った。

「ブルーローズさんもドラゴンキッドさんもご両親はお元気でしょう?

その言葉に少女二人の顔がはっと強張った。

二人の後ろにいる虎徹が小さく舌打ちする。

「でも僕なら…。」

「バニー。」

虎徹はさっきよりさらに険しい顔でバーナビーの前に進み出た。

「『僕なら感染して死んでも泣くものはいない』なんてぬかしたらぶん殴るぞ。」

バーナビーは静かに首を振った。

「僕が死んで悲しむ家族はいない。それは事実です。」

その言葉に虎徹は思わず平手を振りあげた。

「タイガー!

「ワイルド君やめたまえ!!

「虎徹!!

ブルーローズの悲鳴と数人の仲間の制止する叫びが響いた。

だが当のバーナビーは虎徹の殴打を覚悟したように眼を閉じただ待っていた。

「それで気が済むなら殴ってください。でも、やるのは僕でなくてはいけないんです。」

落ち着いた、それでいていいようのない寂寥感を滲ませバーナビーは静かに言った。

「僕も…家族を失った身です。楓ちゃんや、皆のご家族にこの思いをさせたくない。」

虎徹は虚空に振りあげた手を震わせ、やがて力なくその手を落した。

「俺はあの辛い思いをもう二度としたくないんだ…。」

呻くように言い、バーナビーを震える腕で抱きしめた。

「俺が泣くんだよ。お前にもしもの事があったら。」

「ごめんなさい、虎徹さん…。」

バーナビーは辛そうな声で小さく詫びた。

自分が死んだら泣く人がいる。

そう思っただけで、死ぬことが怖いと初めて気がついた。

それでも…他の者にはこの役割をさせられない。

その頑ななまでの決意を虎徹も承知していた。

「斎藤さんにフェイス部分の強化を突貫でしてもらおう。」

 

バニーは言いだしたら聞かねえからな。

皆、概ねバニーの言った分担でやるぞ。

特に女子組は絶対に患者と直接接触するな。

フルアーマー組もマスクの換気機能なんか過信するなよ?

出来れば各社のメカニックに今回だけでも混成チームで

技術班作って待機してもらえると助かるんだが。

アニエス、調整できるか?

 

―分かったわ。すぐに各社に協力を要請するわ。

あとはペトロフ管理官に超法規的措置として多少の破壊行動は

許容してもらえるよう掛け合うわ。

患者の火葬も含めてね。

あとね、バーナビー。

これだけは言っておくわ。

 

「なんですかアニエスさん。」

 

貴方の身にもしもの事があったらそこのメンツは全員号泣するわよ?

タイガーなんて二度と使いものにならないくらい心が砕けるでしょうね。

他にもいるわよ。

社長やロイズ部長、斎藤さん、もちろん私もね。

そのことは忘れないで頂戴。

 

「…死ぬ覚悟で言ったのに、覚悟が揺らぐじゃないですか。」

うっすらと眦を潤ませ、バーナビーが軽口のように言った。

「死なねえつもりでやるほうが難しい。でもバニーならやってくれるよな?

虎徹がそう言うとバーナビーは苦笑した。

「ずるい人ですね。そういう言い方したら負けず嫌いの僕がやり遂げると分かってて。」

バーナビーは眼鏡を外して目頭を拭い、真剣な表情で言った。

「誰もうつらずに任務を終わらせましょう。」

皆が一様に頷き、危険なミッションが今始まった。

 

 

続く