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2.追跡

 

「まってよ、お父さん!僕もう走れないよ・・・。」

「頑張れ!港まで行けば船に乗れる!!

「こんなはずじゃなかったのに!!

「今さら文句を言っても仕方ないだろう!とにかく走れ!!

「ねえ、この国で病院にかかったほうがいいんじゃないの?

「バカ言え!どこの国に密入国者を治療する医者がいる!!

「兄貴の言うとおりだ。捕まってブタ箱で看守に苛められたいのか?

「どうせ言葉も通じない国で注射を打たれて払えない代金を請求されるだけだ!!

「おねがい、せめてこの子だけでもちゃんとした治療を…。」

「くどい!国に帰るぞ!!

「お父さん、ぼく、もうだめだよ。」

「いいから走れ!牢屋に入りたいのか!!

 

ひどく訛った中国語が誰もいない路上に響く。

4人は祖国への密出国のため、

シュテルンビルト港のいちばん端の埠頭を目指して走った。

ほどなく警察や入管が追ってくるだろう。

あるいはこの国で『英雄』と呼ばれる特殊部隊だろうか。

4人のリーダーであり家長でもある男は

周囲を見回しながら必死で走った。

追手の姿が見えないのが、逆に薄気味悪い。

多少は不自由でも貧乏でも、得体のしれない病気で死ぬよりマシだ。

とんだ密入国だ。

仕事もせず、感染症にかかったまま国に逆戻りとは。

こんな事のためにあの組織に多額の金を払ったわけではないのに。

後に残ったのは借金だけだ。

男は妻子に意味を知られないよう、shitと短く吐き捨てた。

 

 

隔離病棟のあったシルバーステージからゴールドステージ方面に向かう

幹線道路に神経質なクラクションが響く。

病院周辺の住民が上層階へ逃げようと暴動寸前の混雑をきたし

道路やモノレール、階層エレベーターは麻痺し始めた。

その一方で家に閉じこもることで身を護ろうとする人々もいる。

感染患者の脱走が報道されてから二時間。

特に下層の街はしんと静まり返っている。

「これじゃ火事場泥棒さえ出ないだろうな。」

「空き巣に入ろうとして感染したんじゃ割に合わねえからな。」

逃走経路封鎖を担う虎徹とアントニオは顔を見合わせた。

「ここの空気は大丈夫かな…。」

側にいるのが虎徹一人のせいか、アントニオは弱い声で呟いた。

「さあな。メカニックチームを信じるしかないさ。」

虎徹の要請とアニエスの呼びかけで結成された

各社からのメカニックチームは驚くべき速さで

ナノミクロン単位の空気清浄機能をフルアーマー組に支給した。

「エボラウイルスを参考にしたが、未知の感染症だ。過信しないでくれよ?

斎藤は皆に装備を説明した後こうも言った。

「クローズドフェイス時の菌・ウイルスはほぼ防げる。絶対にシールドをあげるな。」

虎徹はフェイスシールドのロックを確認してその中で笑った。

「まあ、俺は斎藤さんたちの腕を信じるよ。これさえ開けなきゃ大丈夫だ。」

もともと自分とバーナビー以外はシールドを開ける習慣のある者はいない。

「連中をさっさと確保して病院に放り込まないとな。」

早く終わらせて帰りたいというアントニオに虎徹は頷いた。

「頼んだぞ、バニー…。」

 

道路のそこここに散らかる車や鉄柱でのバリケード。

街はゴーストタウンのような有様になった。

<こちらワイルドタイガー。道路封鎖完了。逃げ道は一つだけだ。>

虎徹は仲間に持ち場の状況を報告した。

<こちらスカイハイ。風は南西方向に流している。皆はできるだけ風上にいてくれ。>

<こちら病院慰問班。今のところ不安そうだけど、皆落ち着いてるわ。>

<こっちもだいたい終わったわ。でもいやーね、ご遺体を焼くなんて。>

<こちら折紙。手の足りないところはなさそうですね。いつでも呼んでください!

臨時フルオープンにされた回線から仲間の進捗状況が報告される。

「で、問題の逃走患者たちはどこにいるんだ?

「バニー、奴さんたちの所在は分かったか?

虎徹は落ち着かない気持ちで逃走患者を追う相棒に呼びかけた。

<それがまだ…。いま高所から目視で捜しているところです。>

まだ接触はしていないのか。

虎徹は内心で安堵の息をついた。

<見つけても焦って接触するなよ。気をつけてな。>

<はい。あ・・>

バーナビーが何か返答しようとした時だった。

 

上空にヘリの音が響く。

けれど今回はパニックを避けるために中継は行われない。

―みんな、聞こえる!?

アニエスの声が回線に響いた。

―逃走中の一家を見つけたわ!

―彼らは市道をシュテルンビルト港に向かって移動中。

―バーナビーのいる位置からは真西に500メートルほど。

―スカイハイは風の操作を引き続きお願い!!

―タイガー、バイソン!あなたたちは港で待機!!

―バーナビー、追跡頼んだわよ!でも近づきすぎないで!!

―家族が散開して逃げたら厄介だわ。折紙も念のためタイガーたちに合流して!!

 

それぞれが了解と短く叫び指示された場所に向かった。

<絶対に保護してみせる!たとえ密入国者たちだって死なせはしない!!

バーナビーは500メートルの距離を必死で詰めた。

やがて港に通じる幹線道路に出ると、右手方向に東洋系の男女4人が

縺れる脚で必死に港へ向かうのが見えた。

「待て!

「来タゾ!追手ハ『英雄』ダ!!

その声に振り返った密入国者たちはバーナビーを見て小さく叫び、

さらに必死で逃げ始めた。

だが大人の脚に追いつけるわけもなく、

10歳になるかならずの痩せた少年が他の3人から遅れ始めた。

「オトウサン、オカアサン!待ッテ!置イテ行カナイデ!!

<悪いが、あの子を確保すれば…。>

子供を捕まえればまさか他の3人も自分だけ逃げはすまい。

バーナビーは追跡の照準を子供に合わせた。

遅れ始めた子供を気にして母親らしき女性は何度も振り返る。

だが追手―バーナビーの手が我が子に伸ばされるのを見て

女性が子供の方へ駆け戻った。

「バカ!捕マルゾ!!

「早クコッチヘ!!

男たちも二人を振り返るが、こちらは逃げたい意識が勝ったのか

走る足を止めようとしない。

その時男たちが何かに足を取られ転倒した。

「嫁と子供置いて逃げるなんざ、許せねえなお前ら。」

埠頭の倉庫陰から虎徹とロックバイソンが怒りもあらわに二人に歩み寄った。

虎徹はワイヤーを収束しながらフェイスシールドの中で二人の男を睨んだ。

「それでも亭主か!それでも父親か!!恥を知れ!!

「見逃シテクレ!!国ニ帰リタイダケナンダ!!

虎徹は男二人を逃亡の危険ありと判断してワイヤーで縛り上げた。

「密入国者一名…いや、二名確保!!

 

「オ母サン!!

バーナビーにとらえられた子供が必死で母を呼ぶ。

「大人しくするんだ。大丈夫、安全なところに保護するだけだから。」

バーナビーは努めて穏やかに言ったが、

ヒーローを見なれない子供にはフルアーマーの彼が恐ろしくて仕方がない。

「子供ヲ放シテ!!

母親が必死でバーナビーの腕に縋りつき、何とか我が子を奪い返そうとする。

「話が通じないとどうにもならないな…。」

バーナビーはふと思い立ち、回線で病院慰問中のドラゴンキッドを呼び出した。

―なあに、バーナビーさん。

「すみませんが、通訳をお願いできますか?

―お安い御用だよ!PDAの回線をその人たちに見せてあげて?

バーナビーは怯える母子にPDAの回線を向けた。

意図が分からず母親は震える声で何か聞いた。

「大丈夫、彼女が通訳してくれますから。」

 

―こんにちは。ボクはドラゴンキッド。上海出身なんだ。

―君たちはどこから来たの?

ドラゴンキッドは標準語で話しかけたが、まともな教育を受けていないのか

母親は困惑した顔でパオリンとバーナビーを見た。

―ああ、やっぱり出身地の方言でないと分からないのかな。

通じていないと分かったドラゴンキッドも肩を落とす。

「困りましたね。どうも祖国の標準語も分からないようだ。」

その時虎徹が縛っていた家長らしき男が騒ぎ出した。

「俺ヲアッチニ連レテ行ッテクレ!俺ハ標準語ガ分カル!

自国の標準語が分かるだけでドヤ顔かよと虎徹は呆れたがとりあえず

通訳の通訳をしてもらわねばならない。

虎徹は縛ったまま男たちをバーナビーの側に連れて行った。

 

―君たちは不法入国したんだってね。でもボクたちはそのことで君たちを

追いかけたんじゃないよ?

―どうかすぐに病院に戻って検査を受けてください。

―あなたたちが外にいるだけでたくさんの人が感染症にうつって病気になってしまうんだ。

―自分のせいで誰かが死ぬのは嫌だよね?だから、どうか戻ってください。

男はドラゴンキッドの言葉を自分たちの郷里の言葉で言い直した。

追われ逃げることに疲れ、怯えきっていた子供が泣きだし、

子供が病気にかかっているのではという不安から母親も崩れ落ちた。

 

「分カッタ…。オ前タチ二従オウ…。」

二人の様子を見た男が虎徹に両手をあげて見せた。

「分かってくれたか。大丈夫、この国はお前たちの人権を尊重する。」

虎徹の言葉をドラゴンキッドが通訳すると、

男二人も諦めたような、それでいて安堵したような笑いを浮かべた。

 

その時…。

ごほ!

急に子供が咳こんだ。

「明星!!

母親が子供をかき抱いたが子供は咳を止めない。

「明星!明星!!

苦しげな咳をしていた子供が目を見開き小さな手で空を掻いた。

そしてごぼりと嫌な音を立て、口の端から血を流し子供は意識を失った。

 

「まずい!

バーナビーは躊躇いもなくヘッドガードを脱ぎ捨て子供の口に自分の口を宛がった。

「バカ!何やってる!!お前までうつるぞ!!

虎徹は怒鳴ったがバーナビーはそれを無視して子供の口から

何とか血塊を吸い出し吐き捨てた。

意識のない子供の胸に片手を添え、バーナビーは蘇生を始める。

「頑張れ!頑張るんだ!!

 

「俺ノセイダ…。俺ガ逃ゲヨウナンテ言ワナケレバ!!

我が子の様子に後悔の叫びをあげた父親に、虎徹は優しくその肩を叩いた。

「大丈夫。俺の相棒は優秀な奴だ。必ずあの子を助けるから。」

言葉が分からないなりにも言わんとすることは通じたのか、

男は懸命に蘇生法を続けるバーナビーを縋るように見つめた。

―アニエスさん!緊急事態だ!救急車を港へ!!

アントニオはアニエスに救急車を要請させた。

繋ぎっぱなしのPDA回線からドラゴンキッドの声が聞こえる。

―加油!加油!!明星、加油!!

子供を励ますドラゴンキッドの声に母親が涙を流す。

「オ母・・・サン・・・。」

バーナビーの捨て身の蘇生措置は功を奏した。

「よし!意識清明、拍動・呼吸あり。もう大丈夫だ。」

バーナビーは腕の中の子供を起こし、母親の方に笑って見せた。

ドラゴンキッドもほっとしたのかPDAモニターの向こうで目頭を拭っている。

「明星!!

母親は泣いて子供を抱き、バーナビーに何度も礼を言った。

 

やがて防護服に身を包んだ救急隊が現場に到着すると一家を病院へ搬送していった。

面倒をかけたと男たちは頭を下げ、母親と子供はバーナビーに手を振って去っていった。

「何とか無事終わりましたね。」

すっきりした表情のバーナビーに虎徹は顔を顰め、首を横に振った。

「まだだ。お前も病院に連れて行かないといけない。」

バーナビーははっとした顔で口許を拭い、小さく頷いた。

血液の飛沫を伴う咳が一番危険とアニエスは言った。

だとしたら、あの血塊にはどれほどの病原体が含まれているのか。

「分かりました。どうかシールドをあげずそのまま連れて行ってください。」

感染を覚悟したようなその言葉に虎徹は胸がひどく痛んだ。

 

どうしてあんな危険なことを。

虎徹は内心ではそう叫びたかった。

自分にも子供がいる。

もしあの子が楓だったら、自分はバーナビーにいくら感謝してもし足りない。

ヒーローとしてはこの上ない適切な対処だった。

だが…。

もし友恵の時のように、バーナビーが病に倒れるようなことがあったら…。

そう思うと震えが止まらなくなる。

 

「お前のしたことが勇敢なのか蛮勇なのか、俺には分からねえ…。でもな。」

虎徹はバーナビーを抱きしめた。

「お前がもし発症したとしても、俺はお前の側にいるから。」

バーナビーはその言葉に驚いて目を見開いた。

「隔離されたまま一人で逝かせてなんかやんねえからな。」

「ちょっと貴方なに言って…。」

バーナビーが虎徹をおし放そうとしたが、虎徹はそれを許さない。

「俺にうつして楓を孤児にさせたくなかったら病原菌なんかに負けんな!!

バーナビーは虎徹の言葉にぷっと吹き出した。

「凄い無茶を言いますね。能力使ったら白血球の威力も100倍になるかな。」

虎徹は笑いもせず首を振った。

「病原体も100倍になるかもしれねえだろ!絶対発動するなよ!!

バーナビーはもう茶化さず、小さく呟いた。

「ごめんなさい…。」

 

 

続く