Rebirth
@失踪
「ダメだ!繋がらねえ!!」
虎徹は苛立たしげにPDAの回線を切った。
「本当に何があったんでしょうねえ…バーナビー君。」
ロイズは困ったなとぼやきながらスケジュール帳を繰り携帯を取り出した。
「ロイズです。ああ、すみません。実は今日の撮影…。」
さほど危機感を感じていないのだろうか、
ロイズはバーナビーの予定のリスケを始めた。
「ロイズさん、そんな悠長な話じゃないっすよ。」
虎徹は切羽詰まった声で言ったがロイズは後でと手を振った。
「ほんと、どこいったんだよバニー。」
虎徹は心配といら立ちで髪を掻きむしり、もう一度電話をかけてみた。
数回のコール音のあと、無情に聞こえる回線遮断の音。
「…やっぱりだめか。」
昨日から何度かけてもつながらない電話。
メールも返事はなく、連絡をくれというメッセージも見たかどうか。
こうなったら最終手段だとコールしても反応のないPDA。
あらゆる連絡手段を取ったがバーナビーからの応答がない。
事故か病気か、何らかの理由で応答できないのか。
一般人ならいざ知らず、この街では知らぬ者のない有名人だ。
どこかで事故に遭ったならとうに連絡が入っている。
もしかして自宅で倒れているのではとマンションに行き
登録してあった虎徹の指紋で中に入ったが留守だった。
室内は整然としていて、来訪者に襲われたような気配もない。
「何かあったんだ…。」
忽然と姿を消したバーナビー。
尋常な事態じゃないと虎徹の心が不安と心配で埋め尽くされた。
「何か事件に巻き込まれてるとしか思えねえ…。」
何らかの手段で能力を封じられ、どこかで監禁されているのではと思うと
虎徹は居ても立っても居られない。
もう正攻法じゃだめだ。
虎徹は携帯で別のナンバーをコールした。
「もしもし、斎藤さんすか?…うわ、声ちっさ。あのですね大至急…。」
虎徹がバーナビーの行方を心配している頃から遡ること半日前。
バーナビーは不思議なファンレターを手に、
サウスシルバーの小さなカフェの前にいた。
「ここか…。」
丸みを帯びた女性らしい文字で書かれた住所を確かめ、
バーナビーはclosedの札が掛かったカフェのドアを開けた。
カラランとドアベルが牧歌的な音を立てる。
「ごめんください。」
遠慮がちなバーナビーの声に店の奥から足音が聞こえた。
「お待ちしてました、バーナビーさん。」
ゆったりとしたフォークロア調のワンピースを纏ったやや年増の女性が
丁寧な所作でバーナビーを迎えた。
「貴女がこの手紙を下さった…。」
「リリスと申します。どうぞこちらへ。」
リリスは道路に面した席を避け、
正面入り口のガラス壁からは死角になる席にバーナビーを案内した。
「こんな隅で申し訳ありません。野次馬に入ってこられるとお話しできないので。」
リリスはそう言って温かなハーブティーをバーナビーに出した。
「お口に合えばいいのですが。」
「いい香りですね。いただきます。」
人種が欧米系にしてはもてなし方が日系だな。
バーナビーは何となくそう思った。
硝子カップを口にすると、すこしクセのあるハーブの香りがふわりと漂う。
「それで早速なのですが、お手紙にあったことは本当なのですか?」
バーナビーはテーブルの上にファンレターを置いた。
「はい。私は副業でアスリートの能力を何人も修復しています。」
遠慮がちなリリスの言葉にバーナビーは俄かには信じがたいという表情で
彼女からの手紙を見つめていた。
「信じては…いただけませんか?」
いささか哀しげな眼で自分を見るリリスに、バーナビーはどうしていいものか困惑した。
「いえ、決して疑っているわけでは…。」
幼年期からいろいろ苦労したせいで物事を鵜呑みに出来ない性分なもので。
バーナビーは気まずそうにそう言い募りリリスの表情を窺った。
「では“リカバリ”…人の能力を復元させるNEXT能力。試してみますか?」
リリスは穏やかに笑った。
バーナビーはこの目で見てみたいと思ったが、首を横に振った。
「いえ、今は結構です。ここでは客観的データとして証明する術がない。」
自分の能力は修復しようがない。
裏付けは斎藤に頼めば何とかなるだろうかとバーナビーは思案した。
「アスリートは別として、NEXTの能力を修復したこともあるんですか?」
バーナビーの問いにリリスは静かに頷いた。
「減退兆候そのものが稀なのでほんの数人ですが…。」
その言葉が真実であれば…。
バーナビーは逸る気持ちを抑えようとハーブティを飲みほした。
「それでその力を使えば、ワイルドタイガーの制限時間を5分に戻せると…?」
バーナビーのまだ疑うような、それでいて一縷の光明を見出したような
真摯な視線を正面から受け止め、リリスは頷いた。
「私の力でワイルドタイガーさんを以前の5minutesに戻すことはできます。」
その言葉にバーナビーの表情がやや落胆に傾いた。
「『ことはできます』?では他になにか問題が?」
「タイガーさんの場合は大したことではないと思うのですが…。」
リリスはやや言いづらそうに前置いた。
復元は対象に酷い苦痛を与えることがあるのです。
負傷したアスリートの場合は故障部分をもぎ取られるような痛みだったそうです。
もちろん身体的に障害を加えるわけではありませんから、
リカバリが終われば痛みはすぐに消え、直後にでも現場復帰できるのですが。
NEXTの場合はアスリートに比べて結果がまちまちでした。
元の能力より増幅してしまい制御に苦労された方や、
元の能力値までは復元できず、詐欺師呼ばわりされたこともあります。
NEXT能力自体がまだ未知のものですから、
そこは私にも何ともならないので申し訳ないのですが…。
可能性は大いにある、とは申し上げられます。
とはいえ現役でヒーローをなさっている以上、
5分に戻れなくても3分まで延ばせれば大きいとも思います。
ワイルドタイガーさんもお喜びになるのではないかと。
もちろん、一ファンである私もとても嬉しいです。
また貴方とのコンビで一部リーグに戻られれば最高です。
途中からは熱のこもったファンらしい話し方でリリスは滔々と話した。
「そうですか…。」
都合のいい話だけでなく、不透明な部分も十分説明した彼女に
バーナビーの心がやや信用に傾いた。
確かに3分でも戻れば虎徹の精神がどれだけ救われるだろう。
「それで、対価はどれほどで?」
バーナビーの問いにリリスはふふっと笑いだした。
「お金など要りませんわ。トップマグ時代からのファンですもの。」
「本当に力を貸していただけるんですか?」
リリスは笑顔で頷いた。
「ところで、一つお尋ねしても良いですか?」
バーナビーはふと湧きあがった疑問を捨て置けず訊ねた。
「なんでしょう?」
子供のように首を傾げたリリスをバーナビーは真剣に見つめた。
「この話をなぜ会社やタイガーさんではなく僕に?」
ああ、とリリスは悪戯っぽく笑った。
「タイガーさんは胡散臭い一市民の話をすぐに信じてしまいそうで。」
「確かに…。」
バーナビーはありうると苦笑した。
長年多くの犯罪者と向き合ってきた割に、虎徹の根幹には性善説的なものがある。
「かといって会社の方に申し入れても不審人物として門前払いでしょうし。」
「もっともです。僕らには話も通されないでしょうね。」
彼女の言葉にバーナビーは参ったなと頬を掻いた。
「それでタイガーさんよりは疑い深そうな僕に話を審議させたわけだ。大した人だ。」
「信じていただけまして?」
バーナビーはもう信じたいという気持ちを隠さなかった。
「一度社に戻って上のものと相談して、あらためてご連絡します。」
リリスは快く頷いた。
バーナビーは席を立ち出口の前で挨拶のため彼女を振り返った。
「タイガーさんによろしくお伝えください。」
リリスは右手を差し出し微笑んだ。
「はい。どうもありがとうござい・・・。」
その時バーナビーの視界が揺れた。
<なに…!?>
酷い眩暈と耳鳴りがする。
四肢が痺れる。
唐突に冷たい声が聞こえた。
「さすがに薬が効くまでずいぶんかかったわね。間に合わないかと思ったわ。」
キィンと音がしたかと思うと、リリスが青白い光を纏っている。
「今後ともよろしくね、バーナビーさん。」
バーナビーが握手した手を振り切ろうとした瞬間、リリスが何かした。
「貴様何を・・・。」
バーナビーの急激に意識が遠のいた。
「くそ…!!」
発動してこの場を離れようとしたが、何故か能力が解放されない。
リリスが酷薄な笑みを浮かべた。
「私の力はリカバリなんかじゃない。NEXT能力の一時的な封印…。」
その声がバーナビーの耳に届いたかどうか。
バーナビーはどっと床に倒れ伏した。
<…!!この女…!!>
意識を失う直前、バーナビーが目にしたものは…。
「この印、貴方はよく知ってるのよね?」
リリスが薄く笑って長いスカートを少し持ち上げてみせた。
「私たちの目的はあんなロートルじゃない。最初からアンタだったのよ。」
マキシ丈スカートの裾から覗く細い足首に、忌まわしい蛇の紋章があった。
<虎徹さん…。>
遠ざかる意識を必死で振り絞りPDAを操作しようとした手を
リリスはしたたかに踏みつけた。
「ぐあっ!!」
「このガキ!無駄な抵抗するんじゃないよ!!」
リリスは激しい口調で言い捨て誰かに電話した。
「ああ、アンタを餌にタイガーもいただこうか。」
リリスはくっくっと喉で笑った。
「二人仲良くコンビで役に立ってもらうわよ。」
<こいつと・・・接触しちゃ・・・だ・・・め・・・。>
そこでバーナビーの意識は途切れた。
―その日の夜
「どうすか、バニーの居場所分かりましたか?」
虎徹はモニターを見つめる斎藤に詰め寄った。
「PDAのGPSではここにいるな。」
ただ、バーナビーほどのヒーローを略取なり誘拐なりしたのであれば
相手はそれなりに準備しているだろう。
もしかしたらここにあるのはPDAだけかもしれない。
斎藤は心配そうにそう付け加えた。
「それでも手がかりがそれしかないんだ。俺行ってきます!」
「わかったよ。部長とアニエスには僕から連絡しておく。」
モニターから目を離し、斎藤は細かいことは任せろと請け合った。
「バーナビーの無事を祈る。頼んだぞタイガー。」
「もちろんです。」
虎徹はモニターに点滅する兎アイコンの座標を携帯の写メに写し取った。
「ここって確か…。」
地図に描かれた広い建造物、その座標の示す場所が何だったかに思い当たり
虎徹の背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
「旧シュテルンビルト総合病院。数年前に移転してからは廃墟だ。」
斎藤も嫌な予感がするのか小さい声をさらに潜めて言った。
「ここなら有名人を監禁しても誰も気がつかないだろうな。」
「斎藤さん、チェイサー出してくれ!」
斎藤はいいやと首を振った。
「トランスポーターを出す。丸腰の相手にバーナビーが捕まるはずがないからな。」
虎徹は分かったと叫びトランスポーターに急いだ。
現場へ向かう道すがらスーツを装着するのももどかしい。
準備を整えラウンジで待機する虎徹は苛立たしげに貧乏ゆすりをした。
酷い怪我をしてはいないか。
命に危険があるような状態ではないか。
あるいは…考えたくもない事態では…。
悪い想像を振り切るように虎徹は首を激しく振った。
<現場到着しました!ハッチ開きます!!>
ドライバースタッフの声が内線で響き、虎徹はフェイスガードを被った。
「今助けに行くからな。無事でいてくれよバニー!!」
虎徹はハッチから飛び出すと荒れ果てて陰鬱な雰囲気の漂う
廃墟の入り口に向かって走り出した。