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B 反撃

 

「どうしてこういう事になったのか、話してみろ。」

虎徹は少女のタンクを見上げ心の中で手を合わせて冥福を祈りながら

崩れ落ちたリリスに穏やかな声音で言った。

「この子、今のお母さんを見てきっと悲しんでるぞ。」

リリスは涙を拭い、ふっと顔を背けた。

「アンタに私の何が分かると…。」

「俺にもこれぐらいの歳の娘がいる。」

その言葉にリリスは眼を見開き、長く深い溜め息をついた。

「そう…。分かった…全部話すわ。なんだかもう疲れちゃった…。」

乾いた声でリリスは話しはじめた。

おそらくそれが素なのであろう、大人しい口調で。

 

私はもともとウロボロスにいたわけじゃないの。

組織の中では一番の新参者よ。

私はこんなふうに落ちぶれる前は生理学者でね。

細胞の再生とか、そういったものを研究してたの。

夫は何年も前に事故で他界して、私は激務の中必死で娘を育ててた。

そして、忙しさのあまり気付かなかった。

娘が重い病に冒されていると分かった時には

最先端の医学を持ってしてももう手遅れだった。

…母親失格ね。

私がもっと娘をよく見ていれば…。

呆気ないものよ。

病気が見つかってたった二か月で娘は逝ってしまった。

研究も手につかず、私は抜け殻のようになってた。

そんなある時、学会で知人が声をかけてきたの。

『娘さんを蘇らせる方法がある』と。

最初は人の弱みに付け込んだ宗教か何かだと思った。

だけど…それでもいいと思ってしまった。

何かに縋りたかった。

誰かに助けてほしかった。

新興宗教の方がまだマシだったわ。

あのジェイクの所属してた反社会勢力だったなんてね。

ウロボロスに入ることはまともな人生を捨てることだった。

私は信じられないほどの資金を与えられ、娘の細胞を培養する研究を始めた。

二度と逃げられない蛇の口の中でね。

 

 

そこまで言ってリリスはワイヤーを首に巻いたまま

ゆっくりと娘の眠るタンクに歩み寄った。

虎徹はもういいと判断し、彼女の首からワイヤーを外し手元に戻した。

リリスは喉元を押さえ、小さな声でありがとうと言い話を戻した。

「信じられる?たった一個の細胞からここまで蘇生させたのよ。」

虎徹は少女を見上げた。

どこをどう見ても普通に母親から生まれ落ちた普通の子供だ。

「凄いな…。ノーベル賞ものだな。だが…命は…。」

虎徹の痛ましげな物言いにリリスは頷いた。

「そう、蘇ったのは姿だけだった。脳も心臓も何一つ機能していない。」

「でも、アンタだって娘さんをゾンビにしたいわけじゃないんだろう?

俺だったら娘がゾンビになったら発狂する。

虎徹が想像もしたくないと首を横に振ると、リリスは俯き涙を拭った。

「私に信仰心はないけど、この先は人間が手を出していい領域じゃないと思った。」

「だが…連中はそれを許さなかった。」

リリスは深く頷いた。

 

この研究は手詰まりだ。

私がそう言ったら連中はNEXT医学の権威だとかいう老人を連れてきた。

「この娘に適合するNEXT能力者の能力を抽出して注げば奇跡は起きる。」

あの男はそう言ったの。

私はこれでも科学者だから、奇跡なんて信じない。

ましてそんな聞いたこともないトンデモ科学。

でもやらなければ殺されるところまで私は既に追い詰められていた。

娘はパワー系のNEXTだった。

とはいっても貴方達ほど強大な力じゃない。

8歳の子が発動したら成人男性並みとかその程度の話よ。

正直、パワー系の囚人でも適当に司法取引して連れてくればいいと思ってた。

「バーナビーを狙え。」

そう言ったのはウロボロスの上の奴よ。

と言っても、どれくらいの地位かは分からないわ。

底辺の私からしたら全員『上の奴』だから。

ヒーローを誘き出して捕えるなんてリスクが高すぎる。

でもバーナビーの能力なら抽出量は少しで済むかもしれない。

ウロボロスの事を伏せて協力を依頼すれば…。

そう思ったけど、甘かった。

 

震える声でリリスはそう言い、バーナビーのタンクを見上げた。

「ウロボロスはバニーが死ぬまで絞り取れと?

そもそもNEXT能力の抽出などということ自体可能なのかどうか。

虎徹はその老人の研究を訝りながらもリリスに訊ねた。

「ごめんなさい…。でも、私はもう諦めたわ…。」

そう言うとリリスは白衣のポケットから何かを取りだした。

「これで…。」

パァン!!

乾いた音が廃墟に響き渡った。

「うぐっ!!

何かを虎徹に差し出そうとしたリリスの脇腹から鮮血が飛び散る。

「あ・・・うう・・・」

がくりと膝をつき、そのままリリスは薄汚れた床にどっと倒れ伏した。

「おい!リリス!?

虎徹はリリスに駆け寄った。

「しっかりしろ!おい!!

「それ・・・を・・・。」

リリスの足元にコントローラーのようなものが落ちている。

それは彼女が虎徹に渡そうとした何かだった。

「なんだこれ。」

拾おうと身をかがめた矢先、ガン!と虎徹の背にも衝撃が走る。

「てめえか、この女を撃ったのは!

銃撃をものともせず虎徹が振り返ると痩せた老人が拳銃を手に立っていた。

どこから現れたのか老人はバーナビーの眠っているタンクを一瞥すると

後ろからの攻撃を恐れてかそれを背に、組織を裏切ったリリスを一睨みした。

「外したか。久しぶりで腕が鈍ったのう。」

脂に塗れた汚らしい歯を見せ、老人がふてぶてしく笑った。

 

「お前がこの事件の黒幕か。」

虎徹は老人を睨み据えた。

「リリスを誑かしてバニーを捕まえた意図は何だ!

虎徹の問いに老人はへっと吐き捨てるような息を吐いた。

「小童が年長者に対する口の利き方も知らんと見える。」

「ただ無駄に歳くっただけの悪党に使う敬語なんざ知らねえな。」

虎徹はそう言うや否やワイヤーで老人の手から拳銃を弾き飛ばした。

その勢いのままにワイヤーが老人の手を補足する。

「わしを何の咎で逮捕するというのだ?

老獪な笑みを浮かべた男に虎徹はアホかと吐き捨てた。

「誘拐教唆と殺人未遂。十分過ぎんだろ。もう通報はされてるからな。」

<今そちらに警察が向かっている。司法局の超法規的認可もとったぞ!

斎藤の声がスピーカーから響いた。

敵がウロボロスである以上テロリストとの対峙中として、

必要があれば犯人を殺害しても罪には問われない。

そういう意味だとは理解できたが、虎徹はそれは最後の手段だと思った。

「もう一度聞く。てめえの目的はなんだ。」

老人はやれやれと息を吐いた。

「聞かなければ分からぬか、この崇高な目的が。」

 

死んだ少女が蘇るのだぞ!?

人類が誰もなしえなかった大偉業だ!

無論、再生の儀に生け贄は必要だがな。

あの子供はただの実験に過ぎん。

だがそれが成功すれば、世界に有益な人間を再生することができる。

この世に不要な人間を供物にすることによってな。

最初の供物はこの作られた英雄だ。

マーべリックの作り上げた強く美しい人形。

この男が死んで無垢な少女が蘇る。

世間は私を認めざるを得ない!

私を異端視し、学会からもこの社会からも追放した連中に

目に物を見せてやるのだ!!

 

次第に興奮し、唾を飛ばして持論をわめきたてる老人を

虎徹はこれ以上ないほど蔑んだ目で見つめた。

今時B級映画でもなかなかお目にかからない陳腐な筋書き。

「そんなことで仲間を撃ったのか。」

虎徹は忌々しげに言いながらリリスを安全な場所に避難させると、

今度は老人が虎徹に侮蔑的な目を向けた。

「仲間?バカバカしい。その女はただの道具だ。」

ごぼごぼと激しく泡を吐く音が聞こえた。

「バーナビーもその女も、わしの研究の礎になるのだ!喜んで死ね!!

虎徹は老人の後ろを見て口角をあげた。

微かに動く四肢。

激しさを増す吐息の泡沫。

「だとさ、意識戻ってんだろバニー?やれ。やっちまえ。」

虎徹はさっき拾い上げたコントローラーのメインスイッチを押した。

扉のロックが外れ、大きな音を立てて培養液が排水されていく。

水に踊っていた髪が白い肌に張り付いた。

「う…。」

その声に老人が振り返るとタンクの中で裸身の英雄が青く輝いている。

「うおおっ!

 

バリン!

 

甲高い音を立ててタンクが砕け、分厚い硝子が辺りに四散する。

「ハアアッ!!

裸身の英雄が狂った老科学者の痩せた体躯を遠慮容赦なく蹴り飛ばした。

「ふがあ!

ふっ飛ばされ、劣化したコンクリートの壁を破って

老人が隣の手術準備室にまで飛んでいった。

「うひょう!バニーちゃんカッコイイ!!

虎徹のからかうような声にバーナビーは濡れた髪を掻きあげ周囲を見まわした。

状況はよく分からないがあの老人は敵だと認識できた。

自分を陥れた女は血を流して脇に座り込んでいる。

彼女を危険因子として意識する必要はなさそうだ。

後、当座の問題は…。

「虎徹さんその布ください。」

慌てるでもなく恥じ入るでもなく、バーナビーは鍛え上げた素肌を晒したまま

虎徹の近くに落ちている真っ白な覆い布をよこせと手を出した。

虎徹はあまりに素なバーナビーの言葉に苦笑した。

「お前気がついたらマッパなのに他にリアクションねえの?

「『きゃあ!』とでも言ってしゃがみ込めばいいですか?

バーナビーの裏声に虎徹は想像しただけで笑えてきた。

「ほらよ。」

「ありがとうございます。」

バーナビーは素早くその大きな一枚布を体に巻き付けた。

虎徹はその姿に感嘆の息を吐いた。

どこかの美術館にある彫刻が動き出したようなその姿に。

「すっげ、本当にギリシャ神話の英雄みてえ。」

「トーガですか?あまり動きやすいものではありませんね。」

その時リリスが苦しそうな息を吐いた。

「あなた達…。あの老人には気をつけて…。」

二人は彼女の言葉に素直に頷いた。

「あの老人は僕が何とかします。虎徹さんはあの女を。」

虎徹はリリスを一瞥して首を横に振った。

「バニー、彼女は自分の罪をみとめ・・・。」

「傷の手当てをお願いしますと言ったんです!

バーナビーは気ぜわしく言い、身に纏う長すぎる布の端を破り虎徹に渡した。

「ここでは止血ぐらいしかできないでしょうがしないよりマシです。さあ早く!

一瞬面食らいつつも虎徹は任せろと言い、フェイスシールドの下で嬉しそうに笑った。

あのバーナビーが、自分を陥れたウロボロスの女を助けろと言った。

後でなにか自供させる気だろうが一発殴る気だろうが構わない。

ただ、彼の心の成長が嬉しかった。

「あいつお前を一発殴るかもしれないけど我慢しろよ?

虎徹は手早くリリスの止血を済ませ、どこか楽しげに言った。

「ま、拳は俺のほど鋭くねえから。」

「報復は甘んじて受けるわ。それだけの事をしてしまったもの。」

リリスのその言葉にやれやれとバーナビーは肩を竦めた。

「貴女をどうするかは後で考えますよ。あのしぶといのをどうにかしてからね。」

バーナビーは険しい顔で前を睨み据えた。

老人が壁に開いた穴の向こうで往生際悪く立ち上がる。

「このガキどもが!纏めて始末してくれるわ!!

醜悪な咆哮をあげる老人に虎徹とバーナビーが背を預け合って対峙した。

「その言葉、熨斗つけて返してやるよ爺!!

「幼い子供の死を弄んだ罪、絶対に許さない!!

二人は老人に一気呵成に飛びかかった。

 

 

続く