2.暴漢
「では市長、私はこれで。」
タイタン社のスミス建設部長が市庁舎の前で市長と副市長に一礼し、
待たせていた車に乗り込み走り去るのを見送った時だった。
「死ね市長!!」
建物の陰から二人の男が飛び出すや否や、
ヒーローが周りを固めるのも厭わずに怒号と共に何かを投げつけた。
「きゃあ!!」
「ひいっ!!」
突然の暴漢襲撃に市長と副市長は驚きに立ちすくんだ。
「危ない!!」
咄嗟に能力を発動したアントニオが市長の楯となり、その飛来物を厚い胸で弾いた。
弾かれたそれがべしゃりと音を立てて地面に四散する。
それより早く男たちは踵を返してその場から逃げだそうとした。
「てめえら!!」
「逃がすか!!」
虎徹とバーナビーがすかさず飛び出し、
バラバラに逃げようとした二人組を続けざまに確保した。
「てめえなんか市長にふさわしくねえ!早く辞めろ!!」
かたやワイヤーで絡め取られ、
かたや跳び蹴りで地面に倒され踏みつけられた犯人達は
それでもなお忌々しげに市長に悪態をついている。
「はいはい、言いたいことは警察で言ってくれ兄ちゃん達。」
言葉尻は優しいが眼が笑っていないワイルドタイガーに睨まれ
男たちは不満げな表情で項垂れた。
「君、ありがとう。怪我はないかい?」
「お気遣いありがとうございます。問題ありません。」
市長はアントニオを気遣い無事なのを確認してほっと息をついた。
「しかし一体何をって…卵ぉ!?」
地面を見たアントニオは予想外の落とし物に苦笑した。
殻が割れ、無残に飛び散った黄身が
御影石のエントランスに珍妙な模様を描いている。
「お前ら卵で何をしようとしたんだ。食いものを粗末にするなよ。」
失笑するアントニオに犯人達はぶすっと唇を尖らせた。
だがバーナビーはにこりともせず犯人の襟元を掴みあげた。
「たとえ卵だろうと暴行罪だ!来い!!」
「ロックバイソン、こいつら詰所警官につきだしてくる。後頼むわ。」
虎徹の言葉に頷いたアントニオは市長の背後を護るようにして
執務室まで送っていった。
暴動の事は表ざたにしないとしても、今後の事を検討する必要がある。
市長と副市長は市長室で打ち合わせると言い数十分が経った。
アントニオが市長室のドアの前に立っていると、
警察に犯人の身柄を引き渡した二人が戻ってきた。
「よう、何か分かったか。」
アントニオの問いに虎徹が頷いた。
「立ち退き反対派の鉄砲玉?」
アントニオは虎徹の話にやっぱりそこかと顔を顰めた。
「なんでも地上げに来たチンピラに吹き込まれたんだとよ。」
「『あの市長がいる限り、この街は必ず潰され住民は追い出される』とね。」
アントニオはその話に表情を曇らせた。
「それで市長に暴行を?何の効果もない愚行としか言いようがないな。」
その言葉にバーナビー達も頷いた。
「あんな粗暴なやり方で行政を変えられると本気で思っているんでしょうか。」
バーナビーも理解に苦しむと言わんばかりに嫌悪の表情を浮かべた。
「あの地区は市内の中でも生活水準も教育水準も低くて、鬱屈した粗暴犯が多いからな。」
虎徹はそう断じながらもやや同情したような面持ちで言った。
ジェイク達のテロによる崩落場所は労働者階級の中でも
特に日雇い労働者の多いスラム地区だった。
無論、崩された土台の上にあったイーストシルバーも甚大な被害を受けたが、
イーストブロンズ地区の死傷者はあのテロ事件被害者の実に過半数を占める。
その地区がダウンタウンほどではないにせよ、
行政からは放置され建物や道路舗装の老朽化が進んでいたのも
崩落の被害を爆発的に広げる結果になった。
市長はこれを好機にそこを区画整理、再開発しようとしている。
それはすなわち、その地域をシュテルンビルトの恥部と見なし
取り壊して消滅させようとしている。
そこでしか暮らせない最底辺の市民の生活を見限って
街を小奇麗にしようとしていると言われても仕方のない政策だった。
さっき虎徹たちが警官に引き渡した男たちは口々に叫んでいた。
「立ち退こうにも俺たちはあそこでしか暮らせないんだ!!俺たちだって市民なのに!!」
「気持ちは分かるが、やり方が荒っぽすぎるな。」
アントニオはやれやれと大きな肩を竦めた。
「そう、彼らにとってなにも得るもののない非生産的な行動です。ただ…。」
バーナビーは言いかけて声を顰め、今の段階で言っていいものか躊躇した。
「ただ?」
虎徹はあることを考えながらバーナビーの言葉の先を促した。
言ってみろという虎徹の視線に頷き、バーナビーは声を顰めて続けた。
「誰かに騙され利用されているのなら、辻褄は合いますね。」
やっぱりそうかと虎徹も頷く。
「例えば…タイタンインダストリーのスミスとか?」
虎徹の言葉にアントニオは驚きに眼を見開いた。
「さっきのオッサンが!?なんでまた!!」
中を警護していたアントニオはスミスがそんなワルには見えないと言い、
どういうことなのか説明しろよと虎徹に迫った。
「バニーちゃん説明よろしく。」
そういうの得意だろと虎徹はサラッと丸投げした。
「理解してるくせにしょうがないな…。」
ハアと息をつき、バーナビーはアントニオに説明を始めた。
もともとイーストブロンズ地区を整理するのは大変なんですよ。
まともな言葉の通じないチンピラや暴力団崩れの連中も多い。
貧乏を楯にありえない補償金を吹っ掛ける連中もいる。
そこへいいとこ育ちの行政担当者がどいてくださいって言ったって
ハイそうですかと立ち退くわけがないんです。
だったらどうするか。
裏の組織に金を渡して追い立てさせればいい。
タイタンインダストリーの工事担当者なら、ある程度の額は動かせるでしょう。
仮にスミスがハンターだとすると、
猟犬役のチンピラにさっきに連中を追わせればいい。
やり方は論外だとしても、さっきの暴漢二人は猟犬に追いたて飛び出してきた
アナグマのようなものです。
卵程度しか武器を用意できないような…ね。
もっとも卵は『市長を侮辱する』演出に過ぎなかったのかもしれません。
これが投石だと市民はその行いに共感しません。
ですが卵となると、市長の頼りなさに不満を持つ市民には、
生卵を浴びせられた市長の絵面は物笑いの種として十分だ。
動画サイトにでも流出させれば凄いことになったんじゃないですか?
そうした行いで『市長を辞任しろ』という世論を加速させるのが
犯人の本当の意図ならまだ多少は理解できます。
「概ねバニーの意見には俺も同感だ。ただ…。」
虎徹はバーナビーの意見を肯定するように頷いてから少し考えた。
「何かちょっと引っかかるところがある。」
虎徹はまとまらない考えを敢えて口に出した。
「あの市長が、あんな面倒な地域を本気で整備しようとするかな。」
「というと?」
虎徹はどういったものかと考えながら疑問を口にした。
「あの性格だぜ?原状復帰でいいじゃないかとか言いそうじゃないか?」
その言葉にアントニオとバーナビーは顔を見合わせた。
「確かに…。」
「そのほうが誰からも苦情は出ないよな。」
元々日雇いの土建業者が多い地域だ。
大がかりな復旧工事自体が被災住民の仕事口となり、
一過性ながらその地域には復興特需ともいえる好景気が生まれえる。
市民の不満も少なく、労働力も確保できる。
それをあえて更地にして再開発事業をするのは、数多の困難を伴う難事業となるだろう。
もしそれが成功すれば、ブロンズ屈指の犯罪多発地域を清浄化できる。
貧民層を追いだし、シルバーよりやや廉価な住宅地を開発すれば
地域住民の生活水準を底上げし、税収その他を増やすこともできるだろう。
だが、それに本気で着手すれば今度は卵では済まない。
次は銃弾か爆弾か。
それこそが市長によるヒーロー総動員の真意だとでも言うのだろうか。
「確かに…よく言えば穏健派、有体に言えば事なかれ主義の市長らしくない。」
バーナビーは顎に手を当て中空を睨んだ。
「それこそスミスに踊らされてるんじゃないか?」
アントニオはあの人の良さそうなオヤジがなあと思いつつ、
奴が黒幕だとすれば次はどう出るか思案した。
「再開発で一番ウマい思いをするのは建設業者だろ。その見返りに…。」
「スミスと市長の談合とか癒着か…。」
虎徹はPDAでアニエスに連絡を取り、情報班が何か掴んでいないか聞いた。
―そう、分かったわ。その場所じゃ詳しい話はできないでしょう。
―誰か一人をこちらによこせる?
アニエスの言葉に虎徹は分かったと短く答えた。
「情報…。」
その姿を見てバーナビーはふと思い立ち、携帯で誰かにコールした。
―ええ、少しお聞きしたいことがあって。
―はい、はい。では後ほど伺います。では。
「バニー、情報班との連絡係を頼む。」
「僕が行きます。」
二人の声が同時に行きかい、間にいたアントニオがぶはっと噴き出した。
「お前ら息合いすぎだろ。」
その言葉に二人は視線を交し意味深な笑みを浮かべあった。
互いの考えていることなど言わなくても分かる。
「バニー、情報ソースはお前に任せる。ただネイサンたちとこは必ず寄ってくれ。」
「了解。護衛の方はお任せします。」
バーナビーはそういうと素早く踵を返し、急ぎ足でその場を後にした。
「虎徹、バーナビーは他にどこに行くってんだ?」
アントニオの問いに虎徹はニヤッと笑った。
「まあ見てな。バニーちゃんは格闘以外も凄いのよ。」
どこか自慢げな虎徹にアントニオはぶはっと笑った。
「なんでお前が得意そうなんだよ。」
「これが今のところ分かっているスミスについての情報よ。」
ネイサンはバーナビーの前に数枚のレポートを差し出した。
「そしてこれが折紙の調べ上げたネット上での市長の評判ね。」
バーナビーはその情報を片っ端から頭にインプットしていった。
不自然に跳ね上がったタイタンインダストリー子会社のゼネコン株。
市長を役立たずと罵る某巨大掲示板。
SNSではセブンマッチに市長が説明責任を放棄。
結局マーべリックがその責を果たしたことで、
市役所はアポロンメディアの子会社かと嘲笑のTLが並ぶ。
そのすべてが同日に発生していた。
市長がヒーローに総動員をかけた日の前日に。
「やはり市長は誰かに陥れられている。」
バーナビーの呟きにネイサンは頷いた。
「タイタンインダストリーのスミスって奴、黒い噂だらけよお。」
今でこそ子会社のゼネコンに出向しているが、
以前は本社で法の目をかいくぐって辣腕をふるっていたこと。
手荒くやりすぎて本社から左遷され、飛ばされた弱小建設部門を
ほんの数年で本社も無碍に扱えない最大規模の関連会社にのしあげたこと。
ネイサンの話にバーナビーは得心したように頷いた。
「あの男がこの事件で重要な役割を為しているのは間違いないですね。」
バーナビーは資料の束を掴み、ネイサンに礼を言った。
「ありがとうござました。折紙先輩にも参考になったと伝えてください。」
「これからすぐタイガーたちの処へ戻るの?」
その問いにバーナビーは首を横に振り、不敵な笑みを浮かべた。
「敵の規模が大きいようなので、僕もある意味一番の武器を使います。」
そう言って情報の束をひらひらと振ると、ネイサンはふふっと笑った。
「まあ怖い子ねえ。情報戦で貴方の切り札に敵うものはないわね。」
「だてにマスコミ最大手に在籍していないってことで。」
笑うバーナビーにネイサンは気をつけてねと見送った。
「メディア王の御曹司に喧嘩売った時点で詰んだわね、スミスちゃん。」
情報収集だけで済むかしらね。
あの男がその気になれば誰が黒幕であれ容易くひねりつぶされるだろう。
「今のうちにタイタン建設株は売りねえ。」
ネイサンはタブレットでさっさと手持ちの株を全部売り払いながら
何度か会ったことのある痩せた男を思い出した。
野心でぎらついた目をした男だった。
談合、収賄、癒着…。
どれも彼には日常茶飯事のビジネスツールだ。
「問題は市長にそんな度胸あるのかってとこよねえ。」
ネイサンは持ち場に戻り、何件かに電話したりネットで調べ始めた。
「どうにも気になるのよねえ、こいつ。」
ディスプレイに並ぶ数人の経歴を眺め、ネイサンは首を捻った。
「もうちょっと洗ってみましょうか。」
ネイサンはビジネスで培った人脈をフル動員して被疑者の素性を
洗い出しにかかった。
そして数時間の後いくつかの事実に行きついた。
「やっぱり。綺麗な花には棘も毒もあったってわけね。」
ネイサンはピンクの唇を歪めアニエスに連絡した。
「ハンサムにも伝えなくちゃ。黒幕はこいつだって。」