A 二日目
「だー、疲れたーーーー!!!」
虎徹はトランスポーターに戻るやいなやどっと床に座り込んだ。
「お疲れさまでした。虎徹さんが一番大変でしたね。」
バーナビーも疲れた顔でソファに身を投げ出すように座る。
「慣れない氷の力であの火災を鎮火するなんてアニエスさんも無理を言う。」
自分が無理を要求されたような顔でバーナビーは唇を尖らせた。
「全くだ。いつもブルーローズはこんな大変な役目をしてたんだな。」
昨日逮捕した犯人のおかげで皆とんでもない苦労を負わされたが、
今まで知らなかった互いの苦労を分かることが出来たのはもうけものだった。
虎徹は素直にそう思った。
今回は火災出動で自分に消火の役目が課せられたが
海上油田だから水がいくらでもあったのが救いだ。
<周りに存在する水分を凍らせるの!>
回線を通じてブルーローズに周囲の水を呼びよせるイメージを持てと教示され
どうにかやり遂げることができた。
大気中の水分だけでは自分には到底無理だった。
「バニーは大丈夫か?」
メットを脇に転がし額の汗を拭いながら虎徹はバーナビーに心配そうな眼差しを向けた。
「ある意味気が楽でしたよ。能力を使わない正当な理由があって。」
言葉とは裏腹に複雑な心境を表情に表し、疲れた口調でバーナビーは言った。
「石油コンビナート火災で制御の効かない炎なんて文字通り火に油だ。」
虎徹は気だるげに立ち上がりバーナビーの肩を叩いた。
「能力なしであれだけ救助できたんだ。やっぱ流石だよお前。」
元の能力も今の能力も使えず、それでもバーナビーは
生身の自分自身の力だけで何人もの要救助者を屋外へと連れ出した。
「普段だって始終発動してるわけじゃありませんし、いつもどおりですよ。」
バーナビーは笑ってそう言うが、
いざという時にハンドレットパワーがあるのとないのでは状況も精神状態もまるで違う。
現にバーナビーはいつもの火災出動時よりもずっと青い顔でぐったりとしている。
外の火災と内なる炎の心的外傷の二重苦で心身ともに疲れ切って。
「…そうだな。バニーが強いのは通常運転だ。」
虎徹はそう言ってバーナビーを抱きしめた。
「俺ちょっと疲れたからしばらくこうさせてくれよ。」
虎徹の手が現場で乱れ縺れたバーナビーの金の髪を梳く。
もう片手が優しいリズムで力ない背を叩く。
「僕も…疲れました。」
その温もりにバーナビーは漸く押し殺した本音を吐露した。
「お疲れ様。」
トランスポーターから出てきたパオリンを待っていたのはカリーナだった。
「あれ、どうしたの。ボクに何か用?」
夜も遅いのにわざわざ自分を待っていたなんてよほどの用だろうか。
そう首を傾げたパオリンにカリーナはそうじゃないわと笑った。
「あのさ、どうだった?ハンドレットパワー使ってみて。」
困ったような面持ちで言うカリーナにパオリンはうーんと唸った。
「凄いよね!タイガーさん達とは元の力が違うからどれくらい使えるかと思ったけど。」
カンフーの達人には御しやすい能力だったのか、彼女の表情に疲れの色は見えない。
さすがだなとカリーナは素直にパオリンを尊敬した。
「ボクの力でも100倍だとあんなことができるんだってワクワクしたよ。」
犠牲者0で済んだせいか、パオリンは屈託なく笑いそう言ってのけた。
「でも、5分ってあっという間よね…。」
「ほんとだね。ボクもあっという間に切れた感じだったよ。」
二人は時間の感覚が分からず困った顔を見合わせた。
「何とか時間測らないと危ないね。」
「私さっきも肝心な時に時間切れちゃって、ほんとは怖かったんだ。」
ブルーローズは熱で歪んだ扉を開けようとしているさなかに能力が切れ、
危うく逃げ道を失うところだった。
開かない扉、後ろには炎。
氷の力があれば火を消すことはできるのに。
このままここで焼け死ぬのかとブルーローズが絶望しかけた時、
その扉を蹴破ったのはまだ発動中だったドラゴンキッドだった。
「さっきはありがとう。パオリンがいなかったら死んでたわ私。」
ぺこりと頭を下げたカリーナにパオリンはやだなあと笑った。
「ボクたち仲間だもん。困ってたら助けるのは当然だよ。」
その時パオリンのポケットで可愛らしい音色が響いた。
「あ、折紙さんからメールだ。『雷遁の術伝授ありがとうでござる』だって。」
カリーナは何気なく差し出されたその画面に微笑ましいものを感じた。
「へえ、今度お礼にご馳走しますだって。よかったねパオリン。」
「えへへ。」
昨日発動テストの後、皆でトレセンに戻り互いの能力制御のコツは
お互いさまという雰囲気でみな教えあった。
折紙がそれをあえて「お礼の食事」とは。
その意図に気づいていないパオリンはご飯奢ってもらえると単純に喜んでいる。
<やるじゃない折紙。がんばりなさいよ。>
プライベートなのに忍者口調でないとメッセージを送れないほど
素のイワンは緊張したということか。
<いいなあ。なんかパオリンに先越されそうだな。>
カリーナは私も折紙の真似してタイガーに送ってみようかなと思った。
<…やっぱり無理!でも…。>
迷ったけれどその勇気はとうとう出せず、未送信のフォルダに放り込まれた。
冷え込み始めた夜空に小さなため息が白い霧となって消えた。
「どういう風の吹きまわしだよ、お前が俺に酒を奢るなんて。」
アントニオはしゃれたバーのカウンターで
普段飲みなれないコニャックの香りを楽しみながら訊ねた。
「いいじゃなぁい。たまには愛する守護神さんに敬意を表して…ね。」
ネイサンは嫣然と微笑み、手入れされた指先でワイングラスの縁をなぞった。
「それにしてもアンタっていつも損な役回りしてるのねえ。」
ネイサンは自分の手を見てふうと溜め息をついた。
「あと一日、勤まるかしら。命の壁役…。」
アントニオが銃撃や崩落する瓦礫を受け止めてくれるから
自分たち軽装備組が前線でやってこれたのだ。
ネイサンは今回の能力入れ替わり事件でそのことを心底思い知った。
硬化する身体で必死に要救助者を庇うも、彼らに怪我をさせてしまった。
護ることの難しさ。
しかも「ただ庇うだけ」のことにポイントはつかない。
今日の現場なら燃える建物の外に連れ出してはじめてポイント加算なのだ。
長年ポイントレースの底辺にいる彼が今までどれほどのものを
その背に護ってきたのだろうか。
「ほんとアンタって凄かったのねえ…。アタシにアンタの代役は力不足かもね…。」
アントニオはいつになく自信なさげなネイサンにははっと笑った。
「全てをなんて受け止められねえさ。ただそこにいる奴を護るのが精いっぱいだ。」
アントニオは割り切ったような表情でコニャックを口に含んだ。
「だが、こうやって理解してくれる奴がいるなら俺も護る甲斐があるってもんだ。」
アントニオは嬉しそうにそう言いグラスを傾けた。
風を操り炎を遮って活路を開くのも悪くないが、
やはり自分には皆の壁になる役目が合っている。
アントニオはしみじみとそう思った。
自分の能力の価値を人に否定されるのはさぞ辛いだろう。
「…お前の力をハンサムが受け入れてくれるといいな。」
その言葉にネイサンはそうねと控えめに微笑む。
「お前の炎がただ焼き尽くすだけのものじゃないと分かってくれるといいんだが…。」
バーナビーが自分の能力に拒絶反応を示したことを労ってくれている。
ネイサンにはそれだけで十分だった。
「彼の場合は事情がああだから。無理強いはしないわ。」
それより、とネイサンは気遣わしげに中空を見つめた。
「あの子自身が無理をしてトラウマをこじらせないかの方が心配ね。」
今までの火災出動で彼はどれだけの無理をしてきたのか。
昨日膝をついて荒い息をついていたバーナビーを思いだし
ネイサンは心配そうに細い眉を寄せた。
「あの子、辛いこと独りで抱え込んで倒れちゃうタイプでしょ?」
アントニオはその言葉にハハッと笑った。
「それなら今は大丈夫だろ。なんたって虎徹が傍にいる。」
その言葉にネイサンも愁眉を開いた。
「そうね。あいつなら他人のトラウマまで壊しそう。」
二人はそう笑って壊し屋に乾杯とグラスを軽く掲げあった。
「擬態のご指導よろしくお願いします、折紙先生。」
「やめてくださいキースさん!普通でいいですよ、イワン君でいいですから!!」
畏まって一礼したキースにイワンは慌てて手を振った。
傍でジョンが何が始まるのかと二人の様子をじっと見ている。
面白い事だったら自分も参加しようと尻尾を振りながら。
「じゃあそうだな…。まずはジョンに擬態してみましょうか。」
イワンはジョンを優しく撫でた。
「よく知っている人や物ほど擬態の精度は高くなります。」
初対面の人や見たことのないものはどこか違っていたりすることもある。
そう聞いてキースはなるほど、と唸った。
「擬態しようとするモノのその姿を心に描いてください。」
「では…スカーイハーイ!」
キンと空を切る音がして、イワンの目の前にもう一匹のジョンが現れた。
「ウォン!!」
驚いたジョンが眼の前の犬に吠え、突如姿を消した主人を探して
部屋の中をうろうろと彷徨いはじめた。
「ワンワン!!」
キースがなにか言ったが犬の吠える声が響いただけだった。
「ウウーッ!!」
「ジョン大丈夫。あれは君のご主人だから。」
イワンは警戒心もあらわに戻ってきた本物を押さえ、キースに言った。
「そのままでは喋れませんよ、声帯が犬なので。元に戻れと念じてください。」
「ウォン!」
キンと音がして“ジョン”の輪郭がぼやけ、キースが元の姿に戻った。
「ワン!」
驚いたジョンがおそるおそるキースに歩み寄った。
「どうだい?ちゃんとできていたかな。」
イワンは笑顔を浮かべて頷いた。
「ジョンがキースさんを認識できず、他の犬と思って吠えたのが何よりの証明です。」
ジョンはキースの匂いを嗅ぎ、尻尾振りつつも辺りを見回した。
「ほら、『あいつはどこに消えた?』ってジョンが探してます。」
突然現れて消えた犬にジョンが不思議そうな顔でキースを見上げた。
「お前でも私が分からないのなら見た目は及第点かな。」
鼻面を押し付けるジョンを撫でながらキースは笑った。
「文句なしの満点ですよ、キースさん。」
問題は演技力の方だな。
言葉にはしなかったがイワンは当座の問題はそこだと思った。
「ところでキースさん、芝居をしたことはありますか?」
「ああ、去年バーナビー君の誕生日の時にね。強盗団のリーダーをやる予定だった。」
懐かしそうに言ったキースに、イワンは『あの話か…』と思い出した。
直接見たわけじゃないがサプライズ参加した仲間が一様に言っていた。
<スカイハイはいつでもどこでもスカイハイだった。>
何でも途中で発生した事件でサプライズは流れたが、
スカイハイのアドリブと口癖がそのまますぎて、やっても失敗しただろうと。
昨日のワイルドタイガー擬態もそんな感じだった。
「でも、キースさんも運が悪かったですね。僕の能力が当たるなんて…。」
イワンが俯いて小さな声で言った。
「どうしたんだい?擬態は実戦向きじゃないが素晴らしい力じゃないか。」
キースはイワンがへこたれる理由が分からずそう言った。
「だって僕は万年ランキング最下位だし…。」
自信なさそうに言い募るイワンの肩をキースは力強く掴んだ。
「でも、ジェイク事件で街の崩落を防いだのはその擬態の力だ。」
君が命がけで掴み取ってきた情報がなければこの街は崩落していた。
バーナビー君がジェイクを倒しても、
パワードスーツを止められなければ何万もの市民が犠牲になった。
なにも格闘だけがヒーローの使命じゃない。
警察にも軍にも情報に特化した部署はあるのを知ってるだろう?
犯人を追いつめるための潜入・諜報において擬態ほど優れた能力はないよ。
まさしく忍者そのものじゃないか!!
胸を張るんだ!君もジェイク事件の英雄なんだ!!
キースのそんな言葉にイワンは涙ぐんだ。
「僕…僕が…皆を救えた?」
キースは力強く頷いた。
「貴重にして希少な君の力、コツを教えてください先生。」
イワンは涙を拭き笑顔で頷いた。
「喜んで!」
「どうなるかと思いましたけど、何とかなりましたね。」
ケインの言葉にメアリーも頷いた。
「皆さん凄いですね。急に能力が変わったのにあの火災で死傷者ゼロなんて。」
しかしアニエスは渋い顔だ。
「バーナビーとスカイハイが使いものにならないのが痛いわ。視聴率が…!!」
ああ、と部下二人が深い溜め息をつく。
「何よ。」
「「いいえ、何でも。」」
二人はやれやれという溜め息を押し殺して、
深夜帯に流すヒーローTVダイジェスト版の編集に専念した。
スワップ効果が切れるまであと一日。
3日間の能力シャッフル事件は既に市民に公開されている。
しかし各々がそつなく与えられた能力を生かしたため犠牲はなく、
ヒーローの能力を不安視する声は今のところ寄せられていない。
ほどほどの視聴率でシャッフルの効果切れを待つのでも悪くはないが…。
アニエスは視聴率を指すデータに目を落した。
「せっかくなんだから何かこうドカーンと盛り上がる大事件起きないかしら。」
「いくらなんでも不穏当ですよアニエスさん。」
「メアリー、言うだけ無駄だよ。」
しかしアニエスの不穏な発言がそれを招いたのだろうか。
翌日、彼女の願いは叶うことになる。