トラウマ
1.煉獄
轟音を上げて燃え上がる邸宅にヒーロー達は息をのんだ。
ゴールドステージの中でも指折りの豪邸がもはやその形も認識できないほど
激しい火柱を吹いている。
その激烈な有様は単純な失火ではなく、まるで爆破でもされたかのようだ。
原因は不明だが、家の主のコレクションであった車への引火による連鎖爆発が火災を大きくした。
消防、レスキュー、警察と非常事態のプロも手を拱くほどの大火災に躍起に
対処しようとするが、文字通り焼け石に水だった。
「こちらへ!みなさん落ち着いて避難してください!!」
ブルーローズが氷壁で炎を遮り、ドラゴンキッドが負傷者に手を貸す。
スカイハイが二階から逃げ遅れた人々を抱えては地上と往復する。
「みなさん、もう大丈夫よ。気をしっかり持って!!」
この事態には能力を生かしにくいファイアーエンブレムと折紙は
スカイハイの下ろした怪我人を救急車へ素早く連携して運んだ。
「おい、これで全部か!?」
ワイルドタイガーは救助した人々を見まわした。
どれも使用人と思しき人々ばかりで、ここには家の主と思える身形の者がいない。
「なあバニー、おかしくないか?金持ちっぽい人間一人でも見かけたか?」
ワイルドタイガーは両脇に抱えた要救助者を救急車に託すと、相棒にそう訊ねた。
バーナビーも避難の邪魔になる瓦礫を脇にどけ、自力で脱出する人を
誘導しながらワイルドタイガーの問いにマスクの下で顔を曇らせた。
「家族そろって出かけてるだけということもあり得ますが、もしかしたら…。」
まさかという空気がヒーローたちの中に流れた時だった。
「なんだって!まだあの中に人がいる!?」
消防車の放水と至る所で起こる爆発音に掻き消されるアニエスの声を
確認するようにロックバイソンが叫んだ。
≪ええ。二階の奥に逃げ遅れた一家がいるそうよ。
この家の主人夫妻と5つになる男の子の三名!!
すぐ助けに行って!
でも中は有毒ガスが充満してるから顔が剥きだしの女性陣はダメ。
スカイハイは外で待機。空中からサポートして頂戴。
突入はそうね…折紙とバーナビーで!
アニエスの判断は適正だった。
動きが鈍重なロックバイソンでは出遅れる可能性がある。
正義感の強すぎるワイルドタイガーは最悪の事態に引き際を見誤る可能性がある。
冷静かつ慎重で動きの敏捷な二人が適任なはずだった。
しかし彼女は失念していた。
バーナビーこそ、この現場に限っては最も危うい対応をしかねないことを。
そしてそれに気づいていたのは、本人を除けばただ一人だけだった。
「…やべえ、まるっきり状況被ってんじぇねえか…。」
「行きましょう折紙先輩!!」
「承知!!」
命令を受けた二人が素早く業火の中に身を躍らせた。
「…悪い、ファイアーエンブレム。こいつ頼むわ。」
ワイルドタイガーは抱えていた負傷者をファイアーアンブレムに押し付けると、
踵を返し炎の中に駈け出した。
「ちょ…。…ああ、そうね。行って助けてあげなさい、あの子を…。」
ファイアーエンブレムはタイガーの意図に気づき、あえて見送った。
≫タイガー!?貴方は外で…。
ワイルドタイガーはアニエスの制止に聞こえないふりをした。
<最悪の采配に文句言わないだけましだと思えよアニエス!!>
屋敷の中は地獄の有様だった。
階段は既に焼け落ち、空中に燃え残った手すりが頼りなく揺れている。
「二階の奥か。能力は…ギリまで温存だな!!」
ワイルドタイガーは大きく跳躍すると中空に残っていた階段の上半分を経て
二階の廊下へと飛び乗った。
廊下は左右に分かれている。
「だっ!どっちだよ奥って!!」
右も左も炎の海、人の気配は感じられない。
「…右だ!」
ワイルドタイガーは勘に任せ右の廊下を駈け出した。
幼い男の子の泣き声が微かに聞こえた。
階段の左通路を進んでいたバーナビーは側頭部のセンサーで音源を素早く探る。
100パワーを使ったほうが感知しやすいが、有事に備え出来る限り温存しておきたい。
暫くサーチしながら歩みを進めるとピピッと反応音がした。座標軸は…。
「いた!!あそこだ!!」
大きな扉の向こうに小さな男の子らしき生体反応がある。
バーナビーは燃えさかる木製のドアを蹴破ると、
部屋の真ん中で泣きじゃくる少年に駆け寄り膝をついて、宥めるように抱きしめた。
「大丈夫かい?お父さんとお母さんはどこにいるか分かるかい?」
少年は束の間バーナビーを見つめていたが、
ようやく助けが来たと理解できたのか大声で泣き叫んだ。
「パパぁ、ママぁ…。うわああん!!!」
ワイルドタイガーは右の廊下をつき進むと行き止まりで折紙を発見した。
「折紙!こっちに負傷者はいたのか!?バニーは!?」
折紙はワイルドタイガーの声に驚いたように振り返った。
その腕にはメイドらしき若い女性を抱えている。
「タイガーさん!!こっちはこの人だけです!!バーナビーさんは階段の左奥に…。」
ワイルドタイガーは状況を理解すると、折紙の後ろの壁に向かった。
「分かった。お前はここから脱出しろ。スカイハイが外でサポートしてくれる。」
そう言うと、ワイルドタイガーは身体を青白く発光させ壁をぶち破った。
「俺はバニーの援護に行ってくる!!」
ワイルドタイガーはそう言うと踵を返し、今にも燃え崩れそうな廊下を走りだした。
<困ったな…。>
バーナビーは恐怖のあまり気を失った子供を抱え、逡巡した。
<この子を抱えたままご両親を探すのは危険だ。でもご両親を放っておくわけには…。>
子供を優先すれば親は助からない。
親を探せば子供がもたないかもしれない。
右の廊下に行った折紙と連絡しようとした時、ふと部屋の奥に半開きの扉が見えた。
<あの奥か?>
バーナビーは子供に火が燃え移らないよう抱きかかえ、
半開きの扉を覗こうとした。
その時、彼の脳裏に見慣れた景色が広がった。
燃えあがる豪奢な居間。
炎におびえる幼い子供。
覗いた部屋の奥には…。
バーナビーの鼓動が僅かに速くなった。喉に酸いものがせり上がる。
<…ッ!考えるな!!任務に集中しろ!!>
過去の幻像と今の現実が入り混じりそうになり、バーナビーは頭を振った。
だが必死で現実を見ようとすればするほど、
目の前の現実が過去の惨劇を脳裏に呼び起こし、意識が混濁する。
子供を…この子の親を助けないと…。
行くな…あの奥を見てはいけない…。
その時、幻像が聞きなれた声に破壊された。
「バニー!」
ワイルドタイガーは部屋に飛び込むなり状況を察知した。
バーナビーが緩慢な動作で声のしたほうを向き直った。
マスクで見えないが、バーナビーがどんな顔をしてるかは見るまでもない。
悪い予感ほど当たるもんだとワイルドタイガーは溜め息をついた。
「バニー、俺の声が理解できるな?」
「こて…さ…。」
バーナビーの掠れた声にワイルドタイガーは思ったより重症だと判断した。
「バーナビー!しっかりしろ!!お前は要救助者を抱えてるんだぞ!!」
下手に大事に扱うより彼の高いプロ意識に訴えたほうがいいと
ワイルドタイガーは咄嗟に怒鳴りつけた。
「…は、はい!この子の親はその扉の向こうのようです!!」
狙い通り、ワイルドタイガーの鋭い声に我に返ったバーナビーは簡潔に状況を伝えた。
その様子にワイルドタイガーは内心ほっとした。
もっとトラウマに呑まれているかと思ったが、やはりこいつは優秀だと。
だが、これ以上バーナビーを無駄にトラウマにさらす必要もない。
「よし、あっちは俺が見てくるからお前はこの子を連れて先に脱出しろ。」
バーナビーがはっきりと頷いたのを見て、ワイルドタイガーはそのまま隣の部屋に歩みを進めた。
後ろでバーナビーが能力を発動する気配を感じる。
ワイルドタイガーはそっと隣の部屋を確認し、危うく出そうになる声を押し殺し息をのんだ。
マスクの下で歯噛みし、この惨状をバーナビーが見なくてよかったと安堵する。
そこにあったのはバーナビーには致命的なほど同じ光景…銃殺だった。
ワイルドタイガーは首を振りバーナビーのほうを向き直った。
「どうしました?そこに親はいないんです…。なにっ!?」
バーナビーが怪訝に訊ねたその時、二人は階下で異様な気配が起きるのを感じた。
「…!!虎徹さん、この子を…!!」
バーナビーが子供をワイルドタイガーに投げつけた瞬間、彼の真下から爆炎が上がった。
「…っ!!うわあああっ!!!!」
「バ…バニー!!!」
絶叫とともにバーナビーの身体がまるで紙切れのように吹き飛ばされた。
ワイルドタイガーは子供を抱えたまま、もう一方の手を彼に向かって伸ばすが届くはずもなく。
「バニー!おい、バニィィーーーーーーーー!!」
再度起きた爆発の衝撃で隣室まで吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられながらも
ワイルドタイガーの必死の絶叫が炎の音に負けじと響いた。