3.僕を呼ぶ声
“ボンジュール、ヒーロー!”
聞きなれたその言葉に虎徹がいきなり噛みついた。
「アニエス!バニーのPDAまで鳴らすたぁどういうつもりだ!!」
虎徹の右腕の上に表示されたモニターの向こうで、
アニエスは虎徹の剣幕に面食らったような顔をしている。
「どういうって…そっちこそどういうことよ。バーナビーはどうして応答しないの!」
「どうもこうも!昨日の事故でバニーは未だに意識が戻らねえんだよ!!医者は今夜が峠だと!!」
虎徹はまだ耳障りなビープ音を鳴らしているバーナビーのPDAを止め、
アニエスにさらに食ってかかった
「ちょ…何よそれ!!聞いてないわよ!!」
混乱からか本社から連絡がいっていなかったらしく、アニエスの目が驚愕に見開かれた。
「聞いてなくても想像つくだろ!!怪我した市民より先に搬送されたんだぞ!!」
虎徹のあまりの興奮に、ネイサンが窘めるように彼の肩を叩いた。
「タイガー、場所をわきまえなさい。」
「…すまねえ、つい…。」
虎徹の心のどこかで、バーナビーに火災現場への突入を命じた彼女への怒りがあった。
アニエスは一瞬動揺したものの、気を落ち着けるように髪をかき上げ息をついた。
「まあ、バーナビーについては了解したわ。残ったメンバー全員、すぐ出動よ!場所は…。」
PDAの通信が切れると、虎徹は戸惑ったようにバーナビーを見つめた。
傍にいてやりたい気持ちと出動しなければという責任感が激しくせめぎ合う。
「…先に行くわよ。」
ネイサンはそう言って足早に出て行った。
静まり返ったICUに医療機器の電子音だけが響く。
「行かなきゃ…いけないよな…。」
それでも、虎徹はまだ動けずにいた。
行かなければ。
俺はヒーローなんだ。市民を守らなければ。
タイガー&バーナビーとして。
今は動けないバニーの分までやらなければ。
行ってはいけない。
また同じ過ちを繰り返してしまう。
俺の知らないところで、たった一人で逝かせてしまう…。
この寂しがり屋の兎に、最期の最期にそんな悲しい思いさせたくない…。
虎徹はバーナビーの左手を握り、どうしたらいいのかと顔を歪めた。
その時また虎徹のPDAが鳴った。
ビーッ、ビーッ、ビーッ、ビーッ・・・
虎徹がなかなか応答できずにいると、
握っていたバーナビーの手が微かに引き攣るように動いた…ような気がした。
「バニー…?」
虎徹はバーナビーの顔を窺ったが何の変化もない。
期待から来る勘違いかと、虎徹は諦めたようにPDAの回線を繋いだ。
>>タイガー!!今病院の前にトランスポーターをつけている!!早くしろ!!
拡声器ヘルメットを被った斎藤さんの大声が響き渡った。
虎徹は耳をつんざく大声に顔を顰めながら分かったとだけ言い回線を切ると、
もう一度バーナビーの顔を見た。
その顔に何の表情も読み取れないが、相棒の考えそうなことなら手に取るように分かる。
虎徹の瞳に力強い意思が戻った。
お前なら…行けって言うよな、絶対!!
事件を無視して瀕死の自分のそばにいたなんて聞いたら、バーナビーは俺を軽蔑する。
こいつはそういうやつだ。
さっき手が動いたのは、きっとこう言いたかったんだ。
<何をぼさっとしてるんですか!!早く行ってください!!貴方それでもヒーローですか!!>
“行ってちょうだい、貴方はヒーローなんだから。”
あの日の妻の言葉が耳に蘇る。
でも、だからこそ、行かなくては。
「代わりにこれ置いていくから。俺の声、ここで聞いてろよ!!」
虎徹は携帯を取り出しワンセグ機能を立ちあげると、バーナビーの耳元にそれを置いた。
「行ってくる。お前の分まで、しっかりヒーローしてくる。」
虎徹はもう一度強くバーナビーの手を握った。
「行ってくるから、お前も勝手に逝くんじゃないぞ!!」
トランスポーターに乗り込んだ虎徹は装着チャンバーに立ち、
今は無人の向かい側を見て呟いた。
「独りじゃ広すぎるぜ、ここ…。やっぱ、お前がいねえとな。」
ロンリーチェイサーに跨り、ワイルドタイガーは正面を睨みつけた。
「タイガー&バーナビー!行くぜぇ!!」
“ああーっと!ワイルドタイガー今夜三人目の犯人確保!!”
マリオの実況がテンション高くワンセグTVから響いた。
“今日のワイルドタイガーは一味違う!!八面六臂の大活躍だあ!!”
“だあっ!いつもは活躍してねえみたいに言うな!!”
無機質な電子音を遮り、ワイルドタイガーの声が
静かに眠りつづけるバーナビーの鼓膜を震わせる。
“バニー!聞こえてるか!?お前の分まで犯人捕まえたからな!!”
ワイルドタイガーが頭上遥か遠いヘリのカメラに向かって叫んだ。
その時バーナビーの脳波が微かに波長を変えた。
逃走していた強盗が全員拘束され、ワイルドタイガーはこれで任務終了とばかりに
大急ぎでトランスポーターに戻ろうとした。
しかしそこをヘリから降りてきたマリオに捕まえられた。
「ワイルドタイガー、今夜のヒーローインタビューです!ひとことお願いします!!」
差し出されたマイクにワイルドタイガーはマスクの下で心底困った顔を浮かべた。
「ええ!?今夜に限ってそれかよ…。俺急いでるんだけどな…。」
「今日はバーナビーブルックスjrの姿が見えませんが、なぜ単独で?」
その質問にアニエスはスイッチングルームで眉をひそめた。
「まずいわ、バーナビーの容体は公表されてないのよ…。市民に動揺を与えかねない…。」
アニエスはインカムでマリオに『その件に触れるな』と言おうとした。
しかしそれより早くワイルドタイガーがバイザーを上げ、
いつになく真摯な表情でカメラに向き直った。
実は…バーナビーは昨夜の火災爆発事故で幼い子供を助け、
それと引き換えになるかのように酷い大怪我をしました。
今も意識がなく、とある病院のICUで生死の境に立たされています。
けれど、俺はあいつが必ず死の淵から自力で帰ってくると信じています。
だから、皆さんも信じて待っててやってください。
バーナビーは必ず復活します。
あいつは必ず、シュテルンビルト市民の期待にこたえます!!
ワイルドタイガーの演説に現場にいた警察や機動隊、他のヒーローから喝采が上がった。
辺りを取り巻く無数の野次馬からタイガー&バーナビーコールが沸き上がる。
「…やるじゃない、タイガー。」
なにより幼い子供の救助と引き換えという表現がよかった。
アニエスは安堵した表情で視聴率のメーターを見た。
瓢箪から駒だろうが、実にいい数字だ。
「バニー!早く起きて戻って来い!!俺一人じゃやりにくくてしょうがねえ!!」
ワイルドタイガーはカメラ越しに、病院で眠りつづけるバーナビーに呼びかけた。
バーナビーの脳波がθからαに波長を変え、微かに指が動いた。
「俺たち二人揃って、タイガー&バーナビーだろ!!」
ワイルドタイガーの魂の叫びが、バーナビーの左手を動かした。
「俺にはお前が必要なんだ!!目覚めろ、バーナビー!!」
脳波がαからβに変わり、長い睫が微かに震え、静かに翡翠の双眸が現れた。
「きっと貴方の想いはバーナビーにも伝わりましたよ!では、ワイルドタイガー…。」
マリオはまだ何か聞きたそうだが、虎徹は早く切り上げて病院に駆けつけたかった。
「ああ、もういいかな。俺そろそろ…。」
任務を果たし、バーナビーにも言うだけ言って、
精神状態がワイルドタイガーから虎徹に戻ってしまった。
今は一時でも早く、バーナビーの許に戻り傍にいてやりたい。
その時虎徹のPDAが呼び出し音を鳴らした。
「誰だよこんな時に…。」
虎徹はイラっとしながらも回線を繋いだ。
<タイガーさん…。>
虎徹は通信画面を見て息を呑んだ。
「バ…バニー!!お前、気がついたんだな!!」
虎徹は喜色をたたえ、大きな声を上げた。
画面の向こうのバーナビーはまだ起き上がれないのか仰臥したまま
PDAを顔の前にかざしているようで、ベッドを見下ろした形で弱々しく笑っている。
TVがつきっぱなしの虎徹の携帯電話を、その胸元に抱きかかえるように持って。
<貴方の声があまりに騒々しいから、目が覚めましたよ…。>
バーナビーのささやかな悪態に虎徹の眼に涙が浮かんだ。
「当たり前だろ、叩き起こしてやろうと思ってたんだから。」
虎徹は咽ぶような声で言い返した。
<貴方一人じゃ心配だから、あの世の入口から戻ってきちゃいました。>
からかうようなバーナビーの声に、虎徹はもう言葉も出ずただ頷いた。
<タイガーさん、僕を助けてくれてありがとうございます…。>
バーナビーが目を潤ませ、頭を下げる代わりのように細い顎を引いた。
“皆さん!お聞きになりましたか!?ワイルドタイガーの必死の叫びが今!!”
マリオの中継にアニエスが満足げに頷いた。
“奇跡を起こしました!バーナビーブルックスjr、死の淵からの復活です!!”
現場からわあっと割れんばかりの歓声が起こった。
周りにいたヒーローたちも、あるものは飛び上がって喜び、あるものは涙ぐんだ。
「いいわ!最高よ!!視聴率がこんなに!!タイガー、お手柄よ!!」
バーナビーもとっても美味しいところで目覚めてくれたわと
興奮しきりのアニエスに、メアリーが引き笑いを浮かべた。
「視聴率目当てじゃ…ないと思うんですけど…。」
「バニー、これからすぐそっち行くから!!」
虎徹は通信を切ると満面の笑みでトランスポーターに駆け戻った。
「斎藤さん!大至急、高度医療センターへ!!」
終り