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ツレが風邪をひきまして

 

1.オジサンとツンバニ

 

いやに静かだな。

バーナビーはふとそう思い隣の席を見た。

もう10時半だというのに虎徹はまだ出勤していない。

<珍しいな。遅刻は常習犯だけど、欠勤なんて初めてじゃないか?

遅刻が常態化しているとはいえ、いつもは10分以内だ。

それとも何か直行の仕事など入っていただろうか。

出動の都合上、二人のスケジュールはお互いに把握することになっている。

自身のスケジュール管理すら甘い虎徹はともかく、

完璧主義のバーナビーは相棒の予定をすべて把握していた。

<今日、オジサンの単独取材とかなんて聞いてないけど。>

そんな珍しいものがあれば記憶に残りそうなものなのに。

空席を見つめてそんな辛辣なことまで考えていると、

こほんと咳ばらいが聞こえた。

「虎徹なら今日は休みよ。風邪引いたんだって。」

経理女史の思いもよらない言葉にバーナビーは目を見開いた。

「ええ!?最近の風邪は馬鹿でもひくんですか!?

病欠の同僚を心配するそぶりさえ見せないバーナビーに

経理女史は眼鏡の下で眉根を寄せた。

<他に言うことはないの?最近の子はドライすぎて理解できないわ。>

経理女史はふうと溜め息をつき、そうみたいねと気のない調子で言った。

<その“馬鹿“と本気で喧嘩するあんたもおバカ度は似たようなもんよ。>

心の中でそう毒づきながら。

 

静かだと仕事の捗り方がまるで違う。

当面必要なデスクワークと度重なる出動で延期になっていた

インタビューを二つこなし、社に戻って簡単な報告書を作成すると

時計は18時を示していた。

「あー、終わった。今日は楽だったな。」

バーナビーは一つ伸びをしてPCをシャットダウンした。

「さて、後はトレーニングでも行って…。」

バーナビーは退勤しようとした時、ふと虎徹の机を見た。

<オジサンいつも人に飯食ったかとか煩いけど、ちゃんと食べてるのかな。>

確かあの人は鰥夫の単身赴任。

病に伏しても、家に世話をしてくれる人などいないはずだ。

<まあ、風邪なんて二、三日寝っ転がってれば治るけど。>

その間くらい何も食べなくても、人間死にはしない。

自分自身、小さい時からずっとそうしてきた。

まして大の大人がそれでどうにかなるはずなど…。

そう思ったバーナビーは最後に風邪をひいたときのことをふと思い出した。

あれは二、三年前の年末だったか。

あの時は39度の熱が出て、水だけは何とか摂りながら

完治するまで3日間ベッドに引きこもった。

眠るというより気絶しては覚醒して。

風邪でも死ねるかもしれないと思ったことは何度あったか。

栄養を取れない、皮下脂肪もごく少ない身体が

生きるために手放したのは筋肉だった。

それはパワー型ヒーローには致命的な犠牲だ。

バーナビーはやれやれと重い息を吐いた。

「…まあ、ここで恩を売っとくのも悪くないか。」

 

玄関でブザーが鳴っている。

虎徹はそれに気づいてヨロヨロと起き上った。

起き上って時計を見ると午後630分。

半日も泥のように眠っていたというのに、全身がだるい。

階下でビービーなるインターフォンが耳触りで頭が痛い。

「誰だよ…。うっせえなあ…。」

ロフトから転がり落ちそうになりながらも、

虎徹はほうほうの体でふらふらと玄関へ向かう。

その間もインターホンが癇性に鳴り響いている。

「ハイハイ今出ますよ!!

連打されるブザー音がまた頭にガンガン響く。

<誰だよ、全く…。アントニオか?

虎徹は不機嫌な声で応じ、のろのろと扉を開けた。

「うぉわ!バニー!?なんでここに!?

虎徹は予想外の来客に目を見開いた。

「何度言えば分かるんですか、僕はバニ…じゃなくて。」

ほとんど条件反射で反駁しかけてバーナビーは

病人相手にバカバカしいと小さく息を吐いた。

「風邪だと聞いたので、様子を見に来ました。」

ぶっきらぼうにそう言い、バーナビーはふいと目を逸らした。

見れば片手に食料品と思しき袋を抱えている。

「ああ、わざわざそれは悪かったな。まあ入れよ。」

虎徹は冷たい外気に身を震わせ、珍客を招き入れた。

「お邪魔します。」

バーナビーは一礼して室内に足を踏み入れた。

そこかしこに散乱する空き瓶や空き缶に眉を顰めながら。

「悪いな、俺こんなんだからお茶も出せないぞ。」

げほげほと咳き込みながら、虎徹はバーナビーにリビングの椅子を勧めた。

バーナビーはそれには首を横に振り、何かを探すように室内を見回した。

「結構です。オジサンは寝ていてください。食事の支度をしますから。」

バーナビーは家主の了解も得ず台所に踏み込んだ。

「え、バニーちゃんメシ作れんの?

虎徹は意外そうに食料品の袋とバーナビーを見比べた。

「前に言ったでしょう。なんでもできてこそのヒーローです。」

虎徹は嬉しそうに笑い、頬を掻いた。

「そっか、じゃあ甘えさせてもらうわ。バニーの飯楽しみだな。」

虎徹の言葉にバーナビーは面食らったように頬を染めた。

「出来たら持っていきますから、さっさと寝てください。」

虎徹ははーいといい返事をして、素直に階段を上って行った。

台所の上でごほごほと咳き込む声がまた聞こえ、

バーナビーはふっと眉根を寄せた。

「かなり辛そうだな…。」

前に熱で倒れた時、夢に見たのは母とサマンサだった。

あの人は亡くなった奥さんの夢を見るのだろうか。

そう思った時何故か感じた胸の痛みにバーナビーは首を傾げた。

 

「じゃあ、やりますか。」

バーナビーは食料品店の袋を開け、綺麗に拭かれた調理台に並べた。

「変なの、キッチンだけは綺麗なんだな。」

バーナビーはまあいいやと食事の支度に掛かった。

食材はゴールドステージの日系向けスーパーで購入した。

風邪のときお粥と漬物があれば日系は安心するとイワンは断言していた。

イワンに教わって買ったのはレトルト粥、漬物、お茶。

ウメボシとかいうイワンお勧めの品はどれがそうなのか分からなかった。

赤くてシワシワの果実みたいのなのは気持ち悪かったので、

黄緑と白の葉っぱ野菜の漬物を選んだ。

理由は色がワイルドタイガーっぽかったから何となく。

お粥はコメから作れるらしいが、作り方が分からない。

妻や彼女じゃあるまいし、まあ何もそこまでしなくてもいいかと

バーナビーはお手軽なレトルト製品を選んだ。

だが、病気で弱った日系が好みそうなものは買えたと思う。

「折紙先輩にいい店教えてもらえて助かったな。」

しかも彼は口が堅い。

虎徹の世話をしに家を訪ねたなど、他の者には知られたくなかった。

どういう風の吹きまわしだと詮索されるのは面倒だ。

そんなの自分でさえ分からないのに。

 

バーナビーは据え付けの食器棚から大ぶりな深皿を出し、

レトルト粥の封を切った。

作り方の表記が日本語でさっぱり読めない。

「翻訳サイト見るのも面倒だな。」

バーナビーは無駄な抵抗は無意味だと割り切った。

正直、日本語の解読に割く時間が惜しい。

「済みません先輩、今度ゴールドのスシ奢りますから。」

そう言ってパッケージの作り方であろう文章を写メに撮り、

イワンにメールした。

ほどなくメールで丁寧な解説文が送られてきた。

末文には虎徹の体調を気遣う文章がつづられている。

「ふうん、お皿に開けてラップして一分ね。簡単だな。」

バーナビーはイワンに丁寧なお礼メールを送ると、

教わった通りにお粥をレンジで温めた。

「日系って不思議なものを食べるんだな。」

どろどろの原型を失ったコメをやや不気味そうに眺め、

バーナビーは買ってきた漬物を大皿に盛って並べた。

「こんなんで本当に元気になるのか?

まあ、オジサンが元気になるならいいか。

食べるのは僕じゃないし。

バーナビーは皿とスプーンをお盆に載せ、

ロフトへの階段に足を掛けた。

 

その頃、虎徹はキッチン真上のロフトでうとうととしていた。

もともと体が頑丈で風邪なんか片手で数えるほどしか引いたことがない。

しかもその時は母か妻がいた。

独りで寝込むのがこんなに心細いものとは初めて知った。

「バニーの奴、いいとこあるじゃねえか。」

日頃、何かにつけ突っかかって来る生意気坊やが

まさか見舞いに来てくれるとは思わなかった。

しかも食事の世話をしてくれるなんて。

きっと、買い出しも台所に立つのも不慣れなことだろうに。

虎徹は目頭に熱いものを感じた。

「なんか今、チーンって聞こえたけど知らんふりしてやるよ。」

虎徹は楽しげに笑い、掠れた声で呟いた。

きっとあいつはインスタント食品の扱い方さえ知らなかっただろう。

それなのに、一生懸命に俺の看病をしようとしてくれている。

それはたぶん、あいつにとって生まれて初めてのこと。

そう思うと虎徹の熱で緩んだ涙腺が崩壊する。

「ありがとな、バニーちゃん。」

お前のその気持ちだけで元気になれそうだよ。

虎徹は嬉しそうに目尻を緩め、階段を上ってくる足音を待ちわびた。

 

 

→虎徹さんとデレバニ